2022.08.24
《3歳からシニア世代まで初めてのピアノ個人レッスン》
茨城県ひたちなか市・那珂市でピアノ教室を
開いております稲野辺純子です。
いつも私のブログをご覧くださり
ありがとうございます。
今日は、滝廉太郎の143回目のお誕生日です。
1879年(明治36年)8月24日、143年前
滝廉太郎は
現在の東京都港区西新橋で生まれます。
瀧家は豊後国日出藩の家老を代々
務めた上級武士の家柄で、
廉太郎の父は、大久保利通や伊藤博文の元
大蔵省や内務省で内務官僚を務めています。
父の転勤により蓮太郎は東京・富山・大分など
各地を回ることになります。
1890年小学校卒業時にはピアノを
演奏したと伝えられ、1894年(15歳)で
東京音楽学校(東京芸大)に入学し
作曲とピアノの才能を伸ばしていきます。
1900年(21歳)には洗礼を受け
クリスチャンとなります。
明治の前半は、翻訳唱歌ができていたが
この頃になると
日本人作曲家による唱歌を望む声が
高まっていました。
時代の要求に応えるかのように
蓮太郎は次々と傑作を生み出します。
『荒城の月・箱根八里』は中学唱歌に掲載され
『花・お正月・鳩ぽっぽ・雪やこんこ』
は幼稚園唱歌に納められました。
1901年(22歳)日本人音楽家として
3人目のヨーロッパ留学生としてライプツィヒ音楽院で
ピアノ・作曲・音楽理論を学びますが
わずか5ヶ月後に肺結核で帰国
満23歳で父の故郷の大分で亡くなります。
作品のほとんどは声楽曲ですが
日本人初のピアノ独奏曲として『メヌエット』
また死の4ヶ月前に
最後の作品となるピアノ曲『憾(うらみ)』
が作曲されました。
大分県日出町の公式チャンネルによる
動画をどうぞ。
https://youtu.be/KxSoqe9L13o