2022.03.02
ハッピーバースデー!『フレデリック・ショパン』
3月1日はショパンの誕生日!
フランス人の父ニコラ・ショパン、
ポーランド人の母ユスティナの
2人目の子として
ワルシャワの西ジェラゾヴァ・ヴィラで
1810年3月1日に生を受けました。
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1892年に発見された
教区の洗礼記録によると、
ショパンの生年月日は
1810年2月22日
となっています。
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しかし、ショパン本人や家族は
3月1日を主張しており
1833年にショパン自身がパリの
ポーランド文学協会に送った書簡には、
1810年3月1日生まれと記載されています。
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なので、ショパンの誕生日には、
2月22日説と
3月1日説が存在します。
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それは、ともかくとして
1810年4月23日の復活祭の日曜日に、
両親が結婚式を挙げた聖ロフ教会で
洗礼を受けます。
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ショパンの父は、ワルシャワ中等学校で
フランス語を教えておりましたが、
この学校はカジミェシュ宮殿にあり
一家は、宮殿の2階の広々とした
空間の中で暮らしておりました。
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ショパンの家族は、皆音楽の才能に
恵まれており、
父は、フルートとヴァイオリンを演奏し
母は、ピアノに長けており
エリートの寮生の少年たちに
音楽の指導も行っておりました。
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幼少の頃のショパンは、
天才を発揮し
ロシア皇帝アレクサンドル1世の前で
御前演奏をしたり
ポーランド副王の子パブロヴィチ大公の
遊び相手としてピアノを弾いて
魅了していました。
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しかし、青年の時期を迎える頃から、
ポーランドという国家に危機が訪れます。
民衆は国家の独立を訴えますが
叶うことなく、一時
地図上からポーランドという国家が
がなくなる事態にまで
至ってしまうのです。
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オーストリアを経由しパリに到着していた
ショパンは、この知らせを聞き
怒りと悲しみに打ち震えます。
『革命のエチュード」は、
この抑えきれない心の叫びから
生まれました。
約200年後の現在
歴史が繰り返されないことを
心から祈ります。
ウェブページやユーチューブチャンネルも好評をいただいております。
https://youtu.be/BXgecoRDuRA