2020.11.14
高校に合格してからすぐ
春休みから練習に参加するよう
先輩から連絡をもらい
入学前からお忍びで
(と言っても他にも結構来てましたけど)
練習がスタートしていました
それはもう戦いの始まり
トランペットも希望者全員がなれるわけではなく
定員は3名だったので何人かは落とされる
多分、当初15名くらいいたと聞いていましたが
春休みに来れなくて出遅れてしまった人は
早々に入部を諦めていたし
倍率を聞いてやめた人もいたし
最終オーディションになる頃には4名にまで
減っていました
それはたった1人が
別の楽器になるということです
初心者として始めることになるということ
そうなると3年間のうちに
コンクールのステージに立てない可能性も
大いにあり
でも
コンクールに出ることが目標じゃなかった
ユルユルの私
何と顧問の先生に
「私、トランペットじゃなくても良いんですけど…」
とか言いに行ってしまった
本当にここで吹きたかっただけだから
むしろクラリネットとかやってみたいかも
くらいに思ってて
先輩が連れて来てくれて
トランペットに合格するよう
みっちりレッスンしてくれている先輩もいたのに
そんなことを言って
そうしたら先生は
「あなたは落としませんよ。その音はなかなか
貴重ですから。大事にしてください。」
と言いました
もちろんオーディションはその後も
何回もあってしっかり受けましたけどね
音色を褒められたことはとっても嬉しかったので
トランペットで頑張ろうって気持ちが強くなりました
(単純)
結局4人は振り落とされることなく
全員合格となり内3人は奇跡的に1年生から
全国大会のステージにも上がることができ
3年後には全国でもちょっと名の知れた
トランペット女4人組になりました
4人の個性がバラバラだったので
それが良かったんだと思います
◯◯歳くらい下の後輩たちも知っているという
「レディース4」って私たちみたいです(笑)
誰が付けた⁈
どんだけ強かったんだろ(泣)
ちなみに映画にもなりました「青空エール」は
母校がモデルの漫画です
ピアノだけでは味わえないこと
経験できないことがいっぱいあった吹奏楽部時代
音楽を広く学べたのもこの6年間があったから
それが今すごく生きていると思えます
そして高校の顧問の先生の専門が声楽だったこと
歌うことの大切さをとことん教わることが
出来たことも財産になっています
コンクールでてっぺん取ることももちろんいいし
そうじゃなくても良い
その景色を見て来たから思えること
語ればVol.10くらいまで行って書いてしまいそうなほど
いっぱいありますが
この辺にしておこうっと
長くなりました
お読みいただきありがとうございます
アメブロには書かない
私の思い出話についてはまた追々
触れていきたいと思います
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Amebaブログ 「愛犬ハクと…etc♪」書いてます