2023.05.14
F.ショパン (1810-1849)
マズルカ op.63-3
バラード第2番 op.38
1795年、ショパンが15歳の時にポーランドは国家として消滅しました。
しかし現在のウクライナ同様、ポーランド国民の心から自国を取り戻したいと言う想いは消える事はありませんでした。
ショパンはロシア政府発行のパスポートを再発行する事を潔しとせず無国籍者となりましたが、マズルカやポロネーズといった民族舞曲を世に発信し続け、文化を通じて愛する母国の存在を世界に示したのです。
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マズルカop.63-3はショパン生前に発表された最後のマズルカです。パリ社交界の為に書かれた洗練されたワルツとは異なり、そこにあるの祖国ポーランドの土の匂いとショパンの素の心の内…
ショパンは幼少期から母の唄う民謡や子守唄を聴いて育ちました。そして懐かしい大切な故郷の民謡舞曲はショパンの一部となっていました。
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バラード2番を献呈されたシューマンは
「ショパンはバラードを弾きながら(その時は最後のコーダはまだ無かったそうです)
ポーランド蜂起に多大な影響を与えたと言われる詩人、アダム ミッケヴィッチの《ヴィリス湖》に構想を得た」と語ったと証言しています。
詩の内容は、
リトアニアとロシアの間に戦争が起き
リトアニアは破れ独立を失う
リトアニアの深い森の中の湖には
伝説があり
女たちは生きて捕われの身になるよりも
死を願い祈った
たちまち大地震が起き城も街も湖中に没した
女たちは睡蓮に化身し手に触れる者を呪った
神秘の湖の謎を解こうとリトアニアの騎士が訪れるが
水の国の姫は同族の騎士には危害を与えず、立ち去るよう騎士に伝え湖に姿を消した、
というものです。
深い神秘の湖と嵐の展開の対比が非常にドラマチックなバラードです。
ポーランドは123年後の1918年に独立を回復しました。
1日も早く世界に平和が戻りますよう祈ります。