2020.03.11
ワルツ。1830年、故国を旅立ち最初に訪れたウィーンでは〈シュトラウス〉らのウィンナワルツが大流行で、ショパンのピアノは見向きもされませんでした。そこで、踊り易さを無視し、オリジナルの様式によるワルツを作曲しました。リズムや形式のみ借りたものですが、優雅そのもので、〈シューマン〉は、「踊り手の半分以上が伯爵夫人でなければ、、」と評しました。次に、ショパン芸術の1つの到達点とされるのが、『ピアノソナタ第2番、「葬送」』です。当時としては規格外の構成が、独創性を物語ります。サロンで演奏される際は、その日の演奏の終了を告げる意味あいもあった「葬送行進曲」。マヨルカ島へ旅立つ直前に、この曲を弾き終えて去っていくショパンを見たある貴族は、二度と会えなくなるのではとの不安に、声を上げて泣いたと言われます。