2021.12.31
12月26日に母が亡くなりまして、昨日見送りました。
まるでろうそくの炎が燃え尽きていく様な静かな旅立ちでした。
知らせを受けて病院に駆けつけてから30分でした。
お医者様も
この状態でここまで持つのは珍しい
と仰っていました。
道中
待ってて、待ってて!
と念じていたから通じたのかしら。
むかし
母は良いピアノの先生を探して奔走してくれたり
テレビで誰かピアニストが演奏していると
「〇〇さんがピアノを弾いてる!」
と言って部屋まで呼びに来てくれたり、私のピアノにとても関心を持ってくれていました。
そう言えば小学生の頃、母は親友と音大についての話をしていた事がありました。
私は二人の話を聞きながら
「霧のトーホー」と「東の国のトーホー」って、なんてステキな名前の学校なんだろうと思っていました。
桐朋学園と東邦音大の事でした😆
結局私はどちらのトーホーでもなく、国立音大に進んだのですが。
母の話し方はゆったりとAdagioでした。
私はせっかちなので結論を急いで
「それで、こうなったんでしょ?」
と話を遮ると
「そうじゃないの、、」
と言ってまたマイペースで話をする人でした。
思うに、、この母に育てられたから私の話す速度はAllegrettoになったのかも。
ところで「トーホー」の話をしていた母の親友は8年前の同じ日に亡くなっています。
ホントに仲良しだったんですね。
母は子供3人、孫6人、ひ孫4人。
良い人生だったと思います。
母は父が亡くなった時に
「また会おうね」
と言っていたけれど、会えたかしら。。
今の私があるのは母のお陰です。
感謝してこれからも頑張ります!
大晦日のお忙しい時に最後までお読み頂きましてありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。
ごきげんよう。