2019.11.26
私事で恐縮ですが・・・
東京でピアノを学んでいる
大学院1年生の娘のピアノ演奏を
大学構内で聴いてきた。
〝中間発表〟ということで、
1人30分のプログラムを組んで演奏するとのこと。
娘はシューマンを選んでいた。
ソナタの1〜4楽章だった。
親は、誰でもそうだろうと思うが、
コンクールであれ、発表会であれ、
娘の演奏を聴かなければならない時
心臓が壊れそうになる!
演奏がどうであったのか
あまり覚えてなかったりする。
それでも
娘が大学に入ってからは
私も
かなり免疫ができたらしく、
随分心臓が落ち着くようになってきた。
今回は
最初に
同じ門下生の方のブラームスを聴いた。
風格のあるブラームスらしい音で、若さの溢れた熱演だった。
その後に娘の演奏を聴いた。
前から弾いてみたいという曲だったらしく
その思いが
音や音楽になっていた様に感じられた。
心臓の鼓動が
今回は殆ど気にならないで聴くことができた。
大学院では2人の先生に師事している。
娘から聞いた話で、
今回演奏するにあたり、師事しているおひとりの先生は、
「自分の言ったことは参考として、
本番ではあなたが弾いてみたいように演奏して良いのですよ」
とおしゃったそうだ。
もうひとりの先生は
「遠慮しないで自分以外の先生にみていただきなさいね。」
素晴らし過ぎる先生に恵まれて
育てていただいている。
そんな先生に支えられて、
娘も、
ほぼ1日中〝ピアノと向かう〟生活を
この中間発表までやる事ができたのかもしれない。
そして
誰かのコピーではなく、
自分が自分の意思で音楽と向き合い、
音楽と対話し、
自分で音楽を創っていく作業が
今回の娘の演奏となったのだろう。
演奏後、ロビーで
2人の先生と談笑している娘が
とても眩しかった。
私達の頃は、
或いは今でも・・・
かもしれないが、
「あなたがどう弾きたいのか」
を求める先生は少ないし、
自分以外の先生に
「習ってらしゃい」と言える先生も少ない。
先生ご自身が
自分の指導に信念があり、
勿論、音楽とは何か・・をしっかりお持ちなので、
生徒に言える言葉なのだと思う。
〝実るほど垂れる稲穂かな〟
私は
自分のピアノ教室を振り返り、
音楽のスタートラインにいる子ども達に
〝音楽〟の本質を見失わないように、
今その子に大事なことを確かに伝える。
その方法を
常に
見直しながら、
謙虚に
また
自信を持って
伝えなければと、
娘が出会って
育てていただいている
素晴らしい先生に接して、
改めて思った事であった。
今日からまた
レッスンに励もうと思う。