2025.03.14
私が先生に師事した頃、先生はお幸せの絶頂期でいらっしゃいました。
と、言うのも、本学で10年に一度の特別賞を授与された才色兼備の卒業されたばかりの方を射止められたーーと専らの噂でした。
私と母が初めて石川先生のお宅に伺った時、お産まれになったばかりのベビーベッドの中のお嬢さんを見せて下さいました。
今もその時の先生と奥様のお幸せなご様子が忘れられません。
奥様はでっぷりとした体格の10歳近く年上の先生の健康管理をいつも気になさっておられました。
まさかこの奥様が風邪をこじらせた事から肺炎になられ、32歳と言う若さで早世される等、誰一人、思いもしない事だったのです。
葬儀の日は雨で、先生の隣にはまだ小学校低学年のお嬢さんがチョコンと座っておられました。
葬儀から1か月程した時、先生から便箋4,5枚の分厚い封書が届きました。
先生は著書を何冊も残される程の筆まめな方で、
中には、奥様が体調を崩される前の状況から亡くなられた後の先生とお嬢様のご様子迄、刻銘に書かれていました。
その封書は、コピーされた物でしたので、先生は参列された方に送られたのでは無いかーーと思います。
その後、先生は再婚されず、お嬢様が東京の大学に行かれると毎年、家に迷い込んで来た野良猫の事を年賀状に書かれておられ、最後には
先生のあの独特の字で
「たまには遊びに来んさいや」と書かれていました。