2025.02.15
サイトウ・キネン・オーケストラで一度でも演奏された事が有る演奏家の方々は、
「自分はサイトウ・キネン・オーケストラで演奏した事が有る!」と誇らしげに話され、必ずプロフィールにも記載されます。
サイトウ・キネン・オーケストラのサイトウとは斎藤秀雄先生の事です。
斎藤先生は、ピアニストの中村紘子さんや指揮者の小澤征爾さん、今、人気のバイオリニストの高島ちさ子等を輩出した桐朋を、戦後、ピアニストの井口基成先生と共に創立された創立メンバーのお一人です。
チエリストでも有り、指揮者でも有り、あの世界の小澤と呼ばれる小澤征爾さんを育てた厳しい指導でも有名な先生でした。
私が中学生の頃、桐朋の学長井口基成先生の妹さんで桐朋のピアノ教授でもいらした井口愛子先生が、定期的に広島に来られ、中学生の私達にピアノレッスンをして下さっておりました。
当時、愛子先生は
「今、桐朋は仙台と広島に力を注いでいる!」と話されておりましたが、
斎藤秀雄先生も桐朋の学生オーケストラを率いて広島でも演奏会を行っておられました。
桐朋の学生オケがヨーロッパの演奏旅行を終えると、その報告会のお話しをお聴きする昼食会が広島で開かれました。
当時のピアノの先生が中学生の私をその席に連れて行って下さったのです。
昼食会場の前には私の先生を始め、広島の桐朋関係の先生方が緊張した面持ちで斎藤先生を出迎える為に立っておられ、それを見た中学生の私も超緊張。
しかし、昼食会での斎藤先生は、終始笑顔で穏やかに先生方の質問に答えられていました。
食事の後、私はピアノの先生から
「今日、貴女がどんな偉大な先生とお食事出来たか、貴女が大人になったら判る時が来るから!」と言われましたが、確かにーー。
驚いたのは斎藤先生はその後も広島の古い教会の一室で、広島の中学生にチエロの個人指導をされておられました。
愛子先生も斎藤先生も次の世代の育成の為に地方に来られていたのです。
斎藤先生が亡くなられると小澤征爾さんが恩師の名前を冠した「サイトウ・キネン・オーケストラ」を編成され、松本市で毎年8月9月に演奏会を催され、長く斎藤先生のお名前が残る事に。
「サイトウ・キネン・オーケストラ」の名前を耳にする度、あの日の斎藤秀雄先生のお姿を思い出します。
「サイトウ・キネン・オーケストラ」は松本市で毎年8月9月に開かれるセイジ・オザワ・松本フェスティバルで編成されるオーケストラ。
斎藤先生のお名前も、小澤征爾さんのお名前もこうしてこれからの音楽家、演奏家の方々に残って行くのだと思うと感慨無量です。