2019.10.03
一清先生と初めてお会いしたのは、入学直後の大学の廊下。
向こうから歩いて来られるお姿に
「アッ、斎藤秀雄先生だ!
どうして、此処に斎藤先生が((+_+))」
と思っていると友人が
「井上一清先生よ!」と言ったので
2人で壁にへばり付いて直角にお辞儀。
(この方が広響の井上一清先生ーー)
中学の時の先生が
「小澤征爾を育てた凄い先生に会わせてあげる」と
斎藤秀雄先生との昼食会に中学生の私を連れて行って下さったのです。
その後、広島に来られると私の友人が斎藤先生にチエロのレッスンを受けていました。
お2人共、細いお顔ですが、その眼光は鋭くーー。
今もお2人は、とても似ておられると私は思っています。
和声の授業では、同級生が一清先生の逆鱗に触れる場面に何度か遭遇しましたが、私自身は笑顔で接して頂いた記憶しか有りません。
身内の仲人をお引き受け下さり、私の実家に結納を持ってお越しになり、家族で会食。
学長に就任されると音楽園の園長も兼務ですので、先生方とお誕生日のお祝いに伺うと応接室に通して下さり、お茶を頂きながら
「最近のレッスンはいかがですか?」と終始、和やかに歓談して下さいました。
プリンスホテルで行われた退官パーティーにお伺いすると
「今日は、良く来てくれたね。」と
両手で私の両手を包み込んで下さいました。
その後、3か月に1回しか行かない病院で何故か毎回、バッタリ先生とお会いし、
先生も
「また、会ったねえ(#^.^#)」と声を掛けて下さり、
その都度、近況をお話しさせて頂いておりました。
つい、2年程前まで毎年、年賀状のやり取りも続けさせて頂いておりました。
先生の多大なるご貢献は、
音楽家としてのみならず、
当時の若い音楽家が生活して行ける様、
今で言う就活に大変なご尽力をして下さった事です。
私等にも身に余るお話を頂きました。
(若気の至りでお引き受け出来ませんでしたがーー<(_ _)>
今、広島音楽界の重鎮と呼ばれる先生方の中にも
「一清先生の方には、
足を向けて寝る事は出来ない。」
と言う方は沢山おられる事と思います。
そういう意味でもまさに
「広島音楽界の父」と言う存在でした。
先生、とてもとても寂しく思います。
いつも励ましのお言葉を頂き、
ありがとうございました。
先生の笑顔を思い出しながら、
私も頑張りたいと思います。