2015.07.10
この2・3日は体調を崩し練習もままならなかったのですが
原因はこの梅雨空に加え、高橋源一郎氏の毒気にあてられたと推測している今日この頃。
高橋源一郎氏。
毎日新聞に掲載された評論などを読むうちに気になりだし
店頭で見かけた「ぼくらの民主主義なんだぜ」(朝日新書)を購入。
これは、2011年震災後から書き溜められた論評を一冊にしたものなのだけれど
読みながらとても勇気づけられたのです。
氏の豊富な読書量、
それはただ読むだけでなく言葉を辿りながらの深い思考。
筋の通った主張。
でも、其処此処に滲み出る温かな人柄。
ああ、こんな方がおられたのかと。
それで本業の小説はどんなのだろう、と読み出したらこれが大変だった。
手にとった一冊は「日本文学盛衰史」。
代表作っぽいし、これで伊藤整文学賞とっているし、そう言えば以前本屋で見かけて気になっていたんだ。
まず、登場人物が凄い。
二葉亭四迷、森鴎外、夏目漱石、島崎藤村、石川啄木、田山花袋、、、、
と明治の文豪フル出場。
で、かの文豪達が明治と現代を行きつ戻りつ、
文体も純文学調からスポーツ新聞のピンク小説調まで手を変え品を変え
小説あり、詩あり、チャットに、胃潰瘍の写真に、エロビデオ、、、と
もう聖俗いりみだれての大混乱。
はい、嫁入り前の娘さんには読ませられません。
かと思うと、はっと背筋の伸びるような文章に出くわしたり。
今まで教科書ん中で畏まっていた文豪先生達が
高橋氏に息吹を吹き込まれ
日本語に悩み、闘い、新しい言葉と表現を獲得していく、その生生しい軌跡。
でもって、その高尚なる文学が俗悪にまみれた場面設定でひっくり返されていく複雑怪奇さ。
いやはや参りました。
でも、ふと思うんですよね。
クラシック音楽も一緒じゃないかと。
一つのスタイルができあがり、それが民衆に受け入れられると同時に堕落が始まるんではないかと。
高尚なる音楽、と思っているものも、もとは作曲家の表現への実験の軌跡の結果ではないかと。
その生生しさを見失ったとき、音楽は偽物になるのではないかと。
文学の毒にあてられながら、そんな事を考えている数日です。