2013.10.24
先週のコラムの続き。今回は印象派についてのお話です。
印象派というのは
19世紀、フランスを中心に広がった芸術の様式のこと。
作曲家でいうと
C.ドビュッシー(1862-1918)、
M.ラベル(1875-1937)にあたるのですが、それよりは絵画の
モネ、マネ、ルノアールらを思い浮かべる方が多いかもしれませんね。
実は、私は印象派の音楽が長年よく分からなかったんですよ〜。
というのも、ロマン派のようにダイレクトに感情に訴えてくるでもなく、古典派のように調和のとれた明瞭な構成があるわけでもなく、あるいはバッハのように圧倒的に自分を超えた存在に瞠目するというのでもなく。
そう、印象派の音楽は美しくはあるけれども、どこか感覚的で掴み所の無い世界
に思えたのです。
それが本当に面白いなと思えるようになったのは40歳もすぎてからでしょうか。
とくにドビュッシーの音楽には魅了されました。
いや~、四十を過ぎて新しい世界が広がるというのは愉快なものです。
で、今日は私と同じく印象派の音楽はよくわからんと言う方のために少しばかりヒントを書いてみたいと思います。
1.印象派にはストーリーがない
。
と言い切るとちょっと乱暴ですが、つまり
『小説』ではなく『詩』の世界に近いと思っていただければよいでしょうか。
例えば
ロマン派の歌曲
『詩人の恋』(シューマンの名曲!泣ける!)。
ここではある詩人が主人公なのですが、彼が五月のある日恋におち、盛り上がっ
たのも束の間、ある日こっぴどく失恋し、えんえんと恨み言をいったあげく、な
んとかそれを乗り越えていく過程が音楽で綴られていきます。それは、あたかも自分がその詩人になったかのように
主観的に繰り広げられる音楽。
かたや
印象派、例えばドビュッシーの
『前奏曲集』など。
各曲に題名はついているものの、それは
一枚の絵画、一篇の詩のように、時には夕暮れせまる村に立ちすくみその情景を眺めていたり(『夕べの大気に漂う音と香り』)、冷え切った冬の日、雪の上の足跡をじっと見つめていたり(『雪の上の足跡』)、、、
そう、お話は無いけれども、
日常のある一瞬に訪れる、ふとした感情をすくい取って音化したような詩の世界。
でも、実はこれって俳句の世界に近いんでは?とも思うのですがどうでしょう。
いささか長くなってしまいました。
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