2013.10.06
前回のコラムではグレゴリオ聖歌からバロック、古典派へと話を進めました。
今日はその続きです。
古典派の作曲家というと、
F.J.ハイドン、
W.A.モーツァルト、そして偉大なる
L.V.ベートーヴェン。
彼らは学校で取り上げられることも多いので皆さんにもお馴染みの方方ですね。
実は街なかやコマーシャルでもしょっちゅう使われているので、何曲か聞けば、あっ、と思い当たる節があるかもしれません。
この時代は、ある
決まった構成(ソナタ形式)、ある
決まった和声の進行(機能
和声)に基づいて音楽が書かれることが多かったようです。
一言で言うと『調和のある世界』となるでしょうか。
いや、勿論、一人一人の作品を見ていくと、例えば、喜びと悲しみが入り交じる
転調(モーツァルト)、仕掛けと遊び(ハイドン)、揺るぎない自我(ベートー
ヴェン)などが見受けられて、十分にワクワクする音楽なんですよ。
でも、バロックのように血がドバーと流れたり(カラバッジョ:画家)、印象派のように色彩と空気がもやもや溶け合ったり(モネ:画家)はしない訳です。
明快で、軽やか、破綻のない世界。
でも、人間というものは、調和の中にいると、それを打ち破りたくなる生き物のようですね。特に
ベートーヴェン(1770ー1827)のような自我の強い人物は。
モーツァルトと同じく、神童として売り出され、青年期にはハイドンにも師事したベートーヴェン。出だしは古典派の作曲家として活躍していたものの、晩年になると、それは
魂の音楽ともいうべき、一人の生身の人間の悩みや憧れを告白するものへ、、、形式も古典派からは逸脱した書法へと変わっていきます。
調和や形式よりも、
個人の内面をいかに表現するかに重きをおく世界。
そう、
ロマン派の登場ですね。