2025.10.22
もう彼此(かれこれ)20年以上は通っているトラットリア(イタリアの庶民的な食堂)がある。店主は昔ピエモンテで修行をしたというシェフで、開店した当時は鱗状のスレート瓦、レトロな光を宿すガラス窓、洒落た看板の店構えが大阪の下町の中で目を惹いた。
その頃、ちょっと生意気な洋行帰りの店主は闘っていた。
「タバスコ置いてないの?」とか「ピザはないんかい?」という大阪のベタな客と。我々はその店で前菜、プリモ、セコンドと時間をかけて食事を楽しむこと、食後酒を飲みながら会話を楽しむことを知り、イタリアに想いを馳せ、料理は文化だということを知った。バブルが終わった頃である。
それから日本に何度かイタリア料理(菓子やワイン)の小さな波が来て、
あるものは残り、あるものは忘れられ、あるものは日本風にアレンジされて生き残った。その間に我らがトラットリアの店主も角が取れ、今や夜がふけると常連客と店主が盛り上がってカオスになっていることもある。が、不意に押しかけた団体客があれば、顔色ひとつ変えず腕を振るって我儘な客の胃袋を満足させる。
私はそこにプロの技を見る。
店主のイタリアの師匠が言ったとか、言わなかったとか(記憶曖昧)
「日本でお前の作る料理がイタリア料理になる」と。
それはピエモンテでスローフードを牽引したすごいシェフらしい。
いま、我らがトラットリアの手書きメニューには日本の季節の食材が並ぶ。
円安で高騰した輸入食材ではなく。
それでも店主の料理を食べるとイタリアの景色や空気が蘇ってくる。
そして料理を中心に話が弾み、笑顔が溢れる。時々議論もやらかす。
そうやってワイワイ騒いで明日への活力を取り戻す。
音楽に似ているなと思う。
私の携わる音楽の本場は欧州で、日本で西欧音楽を奏でることの難しさを感じることもあった。言語、建築、食事、空気、フラットな人間関係、それらが織りなす文化の重層。欧州で音楽を奏でる際に感じた自由が、畳の部屋にちんまりと腰を落ち着けたような感覚。
それでも人が音を奏でる本質は変わらないと思う。
美味しい料理に笑顔が溢れるように、美し(うまし)音色に心がほぐれて欲しいと願う。時に、堪えていた涙の流れる調べであれと思う。
そして音楽が明日への活力を取り戻すための縁(よすが)となって欲しい。
我らがトラットリアの店主の角は取れたが、
相変わらず店にはタバスコもピザもない。
もはや、それを要求する客もいなくなったので。