2025.07.30
敗戦80年となるこの夏、大阪にてヒロシマを題材にした二つの作品(群)に相対しました。
一つは土田ヒロミ氏の写真展。
被爆者の遺品を一品一品ありのままに撮影した作品群です。土田氏は語ります。「脱・表現を徹底し、(写真家)の『土田』を出さないことが重要。その方がものがよく見える」(毎日新聞記事より)
広げられたワンピース。ひと針ひと針丁寧に仕立てられたその衣服から、今と変わらぬ若い女性の華やぎや軽やかな足取りが伝わってきました。そして8月6日、このワンピースを纏った若い女性の見た地獄の業火が脳裏にしみて来ました。
もう一つのヒロシマ。
それは7月27日、大阪コレギウム・ムジクムの演奏会で初演された寺島陸也作曲『星の疼き』。広島で被曝した詩人、原民喜の作品に基づく音楽です。
緊張感に満ちたハーモニー。
言葉が迫って来ました。
寺島陸也氏の音楽は、いつも不思議な余韻を残します。
情緒に寄り添ってくる甘い旋律や、興奮、気持ちを解放させる爽快感、それら共感を得やすいドラマ性はむしろ退けられ、一音一音の積み重なりの中で、原民喜の詩がくっきりと姿を表すような感覚を覚えました。
最後の曲を聴きながら広がったイメージは傷つけられ、疼きながら宇宙空間に漂う惑星。それはまさにこの地球の姿でした。
音楽ならば誰もが期待するであろう高揚感を削ぎ落としたからこそ表現しえたような世界。このような音楽、このような表現もあるのかと痺れました。
そして、私にはそれが土田ヒロミさんが写真で表現しようとしたものと通じているように思えたのでした。