2025.06.25
夏日の六月、合衆国がイランを攻撃した日にJ.S.バッハの「ヨハネ受難曲」を聴きました。
演奏したのは大阪コレギウム・ムジクム(當間修一指揮)。
世界に先駆けてこの楽曲をオペラ化したものの、その後長く封印されてきた當間修一のヨハネとあって会場の教会は補助席を出すほどの盛況でした。
この合唱団にはいくつか大きな特徴があります。
ソリストが合唱団から出てくるんですね。合唱団員に「音楽大学声楽科卒業」の肩書きを持つメンバーは極々わずか。多くは縁あってこの合唱団に繋がり、あるいは呼び寄せられ、ここでアンサンブルのトレーニングを受けたメンバーです。
オペラ化をした十数年前とはメンバー、ソリストが入れ替わってのヨハネ再演でした。ヨハネの主役、このドラマの狂言回しエヴァンゲリストを勤めた久富氏は、この公演がエヴァンゲリスト・デビューとなりました。これが、今まで聞いたことのないようなエヴァンゲリストでした。
正直に書きましょう。
私の頭の中に燦然と輝くエヴァンゲリストはペーター・シュライヤーなんですね。ビロードのような声いろ、正しいドイツ語(ドイツ人なんですから当然)、様式を知り尽くした端正な語り口調。最初から最後まで安心して物語を紡いでいきます。
それに比して久富氏のエヴァンゲリストのなんと人間くさかったこと。
バッハという川に一艘の筏と櫂で漕ぎ出し、急流に揉まれ、時には岩を避けつつ、大河を渡り切ったというような。しかし、そこに私は歌い手の等身大の生の感情を聞きました。いや、それを聴きたくて耳をそば立てていました。
想像はバッハが演奏していたトーマス教会へと飛びます。
当時もこんな感じだったのではないか?と。
21世紀の私たちが慣れてしまったヨハネ受難曲の演奏、例えば、シャンデリアの輝くコンサートホールで、名の知れたソリストを「お呼び」し、お客様は立派なクラシック音楽を享受する、では無く!!!!!
街の教会の受難節、いつもの会衆が、教会つき合唱団のヨハネを聴きにくる。
会衆はエヴァンゲリスト(それは子供の頃から知っている近所の青年だったり)の言葉を噛み締め、ときにコラールを一緒に口ずさんでいたかも知れない。ソプラノを歌う少年たちは、まだ受難の物語もよく理解せず、ただ一生懸命歌っているだけ。その合唱団の中で経験と歳を重ねたものが、ソリストを務め、経験を後輩たちに伝えていく。年若い子供たちは、その中で人として真っ当に生きるとはどういうことかを学んでいっていたのではないか、音楽とともに。
もし未来へバッハの音楽が残っていくならば
こういう演奏であろうと私は思っています。