2024.01.31
先日、イギリスのテノール歌手イアン・ボストリッジの歌うシューベルト歌曲のコンサートに行ってきました。伴奏者はジュリアン・ドレイク。 。
ドイツ・リートは大学生の頃、強くその魅力に囚われたものの昨今は伴奏する機会もなく、リートをメインにしたコンサートに行くのも久しぶりでした。
その素晴らしかったこと!
美しい声の歌手はいくらでもいるでしょう。
華やかな容姿や演技の達者で楽しませる歌手もまた。
ですがボストリッジのそれは、哲学的といっても良いような、身体の奥深くに染み入ってくる歌でした。
プログラムの最後に歌われた「夕映のなかで」では、まさに見渡す限り、色とりどりの朱に彩られた夕映に包まれているような感動を覚え、心が震えました。
あまりの素晴らしさに帰宅後その楽譜を開いたのですが、そこで驚いたのがシューベルトの伴奏の妙です。
たとえばバロック音楽の通奏低音では右手の伴奏は歌の音域を乗り越えない、というのが原則なのですね。なぜならば右手が歌パートを乗り越えて高音を弾くと、肝心の歌を消してしまいますからね。
ですが「夕映のなかで」において、逆にシューベルトは伴奏の右手パートの奏でる幅広い和声の内声として、歌パートを書き込んでいたんですね。
シューベルトが上記の原則を知らないわけはありません。つまり、それこそがシューベルトの狙いだったのだと。そして、あの会場中に広がった夕映の情景は、伴奏パートが創り上げたものだったのだ、と息を飲みました。
また、その和声に包まれて埋もれるでもなく、あるいは和声からはみ出すでもなく、言葉を語り伝えたボストリッジの技量にも唸りました。
学生時代には解らなかったこの伴奏の妙が、今ようやく判った。これもまた嬉しく、長らく音楽を続けてきたご褒美をもらった気分になりました!