2023.10.30
Sagittaおじさん、ことH.シュッツの音楽を聴きました。
昨年(2022年)はシュッツの没後350年ということで、巷(といっても古楽愛好家だけの狭い界隈)にシュッツの演奏会が溢れておりました。お祭りにのっかった華やかな演奏より、静かに彼の音楽に浸れる今年の秋が嬉しいです。
バロック音楽の先端をいくイタリアの息吹に触れ、その真髄(言葉と音楽の関わり)をドイツに持ち帰ったというシュッツ。
いえ、ただ持ち帰っただけではなかったようです。イタリア音楽はAffetto(情感)の発露を核心におきます。当然シュッツも言葉と音楽の繋がり、Afetto(情感)の表出に重きを置いたことでしょう。が、彼の音楽にはそこにもう一つ、「思索」が加わるように思います。それは森深いゲルマンの地に影響されたものなのか、30年戦争という時代がもたらしたものなのか、私にはわかりません。
昨夜聞いたのは葬送の音楽でした。
涙の谷である現世から離れ、神の国へと迎え入れられる時に奏でられる、平安の音楽。充分に生き切った人生であれば、遺されたものがそれを確信できるならば、音楽はどれほどの慰めとなったことでしょうか。
しかるに、突然始まった戦争に、頭上に落とされるミサイルに、切り裂かれた死者を、その家族を慰める音楽などあるのかと、考え込みます。
幾つかの詩篇をテキストとしたこの音楽には「イスラエル」「異邦人」といった言葉が出てきます。それらの言葉が目に入る都度、心が微かに波立ちました。
戦争ではいともやすく、加害者が被害者に、被害者が加害者へと入れ替わります。そして、被害者はもちろん、加害者もまた長く重荷を負うことになる。
「汝、殺すな」
いま、これ以上の箴言があるでしょうか。