2023.08.01
7月は二つの現代音楽にスポットを当てた演奏会に行きました。
一つはいずみシンフォニエッタ大阪の第50回定期演奏会、そしてもう一つは「ルネサンス・バロックから現代(いま)の音楽」と題された大阪コレギウム・ムジクムの定期公演です。とりわけ、後者で演奏されたJames
Macmillan(1959~ )作曲『十字架状のキリストの最後の七つの言葉』には深い感銘を受けました。
それは十字架上でイエス・キリストが語ったとされる7つの言葉をテキストにした合唱と弦楽オーケストラのための楽曲です。天上を示唆するかのような繊細なヴァイオリン、時折織り込まれる非西欧的な旋律。そして、思索に行き詰まったかのような長い、とてつもなく長いゼネラルパウゼ。
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と問う有名なイエスの言葉。そもそも、神を見捨てたのは近代の私たちではなかったのか、と聴きながら自問しました。
1993年に創られた曲です。
それはベルリンの壁が壊され、まだ世界が未来をえがけた時代。作曲家自身は三十代半ば。その頃にこの曲が創られていたことに驚きを禁じえません。その作品に指揮者 当間修一氏の想いが強く注がれました。
同時代を生きる者が同時代の作品を演奏する。そして同時代の者がそれを聴く、共有する。それは現代(いま)の社会に共に向き合い、時にその不合理に言葉を失い、その中にあってなお未来を希求する行為なのかもしれません。
癒し、日常からの逃避たる音楽もあるのでしょう。
しかしまた、生きることそのものたる音楽もあります。
生そのものゆえ、しばしそれは重苦しさ、逡巡、未解決で終わるのですが、
その終わったところから、ほんとうの希望が生まれるように思います。
『私は悲しみから尊厳を受け取る。苦しさから悦びを思い起こす。「悲」や「苦」は人間が人間として生きるための妙薬だ。人間がこの地球から受け取った自然界からの贈り物!私はそれを信じて幾年間を生き抜いた。』
(演奏にあたって、指揮者当間修一氏の寄せた一文より)
疫病、戦争、自然災害。希望の見えにくい現代ですが
しぶとく生き抜いてやりましょう。