2023.02.22
ストリーミングに降りてきたばかりの映画「PLAN75」を見ました。
ご存知ない方のために簡単にストーリーを。
近未来の日本、高齢化問題を解決するた目に政府がある制度を導入します。それが「PLAN75」。75歳を超えた老人は、政府の手厚いサポートのもと安楽死を選べるのです。自由意志で。
幾つか印象的な場面がありました。
それは、現代の日本で目にする光景です。
公園のベンチに、横たわれないように取り付けられる排除手すり。
真夜中の道路工事現場に一晩中たつ年老いたガードマン。
寒空のもと炊きだしに並ぶ人々。
介護施設の外国人労働者。
現実と映画の違いは「PLAN75」があるかないかだけ。
映画に登場する人物の中に悪人は一人もいません。
その日その日を慎ましく生きている老人達はもちろんのこと
PLAN75を推進している役所の職員さんや、相談員、
本国に病気の子供を残してきた移民労働者まで、
みな礼儀正しく、親切で、優しい。
しかしながらそのやっていることのおぞましさ。
老人たちは、孤独と欠乏の中で希望を見出せず「自分の意思」で安楽死を望むのですが、これは「自由意思」と言えるでしょうか。
安楽死ののち、死者の所持品を仕分けする場面が出てきます。
かつて誰かの持ち物であった鞄を開けて、中身をぶちまけ、分別する。
淡々と、感情も見せずに、続けられるその作業。
時々高価なものがあると、現場の役得で着服したり。。。。
それはアウシュビッツを彷彿とさせる場面でした。
先日、成田悠輔氏(米国イェール大学経済学教授)の「高齢者は集団自決をするべき」との記事を読みました。その後の知識人の反応や、氏と十代の子供たちとの対話集会の映像も合わせて。
近未来のデストピア映画と思えた「PLAN75」が、すでに現実にあることに戦慄します。