2021.08.27
このところ、武満徹 『ハープシコードのための夢みる雨』をさらっていました。
「雨」のタイトルの通り、様々な雨の情景が目に浮かびます。
初夏、草木に降り注ぎ緑を繁らせる恵の雨、
サー、と音を立てて目の前を横切っていく雨のライン、
しっとりと雨を含んで匂い立つ苔むした庭、
パシャパシャと飛びあがる水飛沫、
そういえば、日本にはなんと雨の単語の多いことか。
春雨、五月雨、梅雨、村雨、時雨、霧雨、等々
あらためて日本は水の国であったと思い返します。
昨今は、災害をもたらす異常気象と結びついて語られることの多い雨ですが
本来のそれは、この国の風土と生活文化に密着し、私たちの感性を形取ってきた大事な風景であったはず。
雨の日には、より一層の静けさを感じます。
窓ごしに雨脚を見つめるとき、床に横たわって雨の気配を聞くとき、傘をさして一人道を歩くときにも。
時間が止まり、自然の中に一人佇むような静寂。
武満徹のエッセイ集を読み返していました。
『「消える音」を聞く』と題された一文が印象に残りました。
氏は、現代の膨大な音の集積の中で衰えてしまった耳、怠惰になった感受性を憂えながら、「消える音」こそが音楽想像の根源ではないのか、と述べられる。
『夢みる雨』には多くの「無音の一瞬」があります。
日本の風土の中で育ったものとして、音楽にこの一瞬の静寂をどう落とし込むのか。いえその前に、自分の身体の中から「無音」の体験の記憶を探しだす作業が楽しくて仕方ありません。
第5波が落ち着いた頃にはお披露目できるでしょうか。