2019.09.02
この夏 東京、大阪、福島と巡演中の谷賢一作・演出の舞台 『福島三部作』。
何か強い力にひかれるようにして行ってまいりました。
福島県に所縁のある谷氏が、綿密な取材と資料の読み込みを重ね描き出した、
原発とともに過ごした双葉町の50年間、そして2011年から今に続く日本。
私が見たのは第2部『1986年:メビウスの輪』と第3部『2011年:語られたがる言葉たち』ですが
一夜明けてなお、たくさんの言葉たちが私の胸に渦巻いています。
震災の後、多くの言葉が語られました。
悲しみ、怒り、不安、欺瞞、諦め、、、、語らないことも、また言葉でした。
それは時に対立を生み、人々を傷つけ、そんな中で語ることが怖くなり、人々は口をつぐみ。
それでもなお、問うてくるのです。
「まだ、語られてない言葉があるんじゃないのか」
「言葉にすることは、散らかった部屋を整理すること」
舞台には傾いた家具、倒された椅子、、、、
そう震災の後の部屋がそのままある。
私たちは、あの日の部屋をまだ片付けられるにいるんじゃないのか。と舞台そのものが示しているようでした。
聞こえてくるのは生者の声だけではなく、
あの日、瓦礫の下になった、海に流されていった死者の声も、聞こえてきます。
「生きたかった」「やりたいことがあった」「愛したかった」
悲しみが押し寄せてきます。
8年前の記憶が呼び覚まされます。
今更、寝た子を起こして、、、
「いや、寝た子は正しく起こすんだ」
故郷の再生を願う人びとと、もう故郷には帰れないと思う人びと。
何が正しくて、何が間違ってるなんて、誰に判断ができるのでしょうか。
今の日本に必要なもの、
それは静かに耳をすますことなのかもしれません。
死者の声にも、生者の声にも、未だ語られていない声にも。
一緒に耳を澄ましてみませんか。