アナログなピアノ教師がAIの未来と創造性について考えてみる
2019.04.01
面白い本を読みました。
新井紀子著「コンピューターが仕事を奪う」
はっきり言って思いっきり分野違い。
演繹(えんえき)法とか帰納法とか、関数とか統計とか、NP難しい問題とか、、、何度か宇宙空間に逃げ出しそうになりながらも、新井先生の優しい語り口に乗せられてなんとか完読。
新井先生は言います。
「20世紀のコンピュータは、私たちを具体的に脅かす存在ではありませんでした。彼らは、電卓であり、ワープロであり、メーラーでしかなかったからです。
けれども、21世紀のコンピューターは労働市場の地図を完全に塗り替えることでしょう。なぜなら、彼らは人間の知的作業を代替えする能力を持ち始めたからです。」
近い将来、人間から仕事を奪うAI。
新井先生はまず、AIには何ができ、何ができないかを詳らかにしていきます。
敵の正体を知れば、不必要に恐るる必要はなし。
と同時に、AIの能力の発展を辿る作業は、人間の思考方法を知ることでもありました。
21世紀になって帰納法の能力を身につけたAIは、大量のデーターを読み込むことで、人間が「好ましい」と感じる情報を見つけることが出来るようになったとか。
ということは、、、
作曲技法を教えて、これまでにヒットした曲を大量に読み込ませたら、AIも簡単にヒット曲を作れちゃう。いや、もう既にそういったソフトがあると聞いたことがあります。
「くりえいてぃぶ」な仕事ってなんでしょうか。
今まで「クリエイティブ」と思っていたものは、実は創造ではなかったのかしら。
では近い将来、音楽家も失業?
そこでふと、橋本治さんの本のタイトルを思い出すのです。
『人はなぜ「美しい」がわかるのか』
確かにこれからはAIを使って曲が作れるでしょう。
しかも、これまでの人間の傾向を読み取って、ヒットの要素を備えた曲を。
でも、AIにはそれが「美しい」かどうかは分からない(今は)。
彼が知っているのは、こういった傾向の曲を人は「好む」ということだけ。
しかるに、人間だけがそれを「美しい」かどうかを判断できる。
特に、これまでに無かったタイプの音楽、まだ評価の定まっていない芸術に関して、ジャッジできるのは、人間個々人の感性だけだと思うのですね。
ここまで書いて、日本人が心配になってきました。
横並び、他人との同調性をことのほか重んじる現代日本。
未知のものに触れ判断できる感性は育まれているのでしょうか。
感じたことを、臆さず発言する環境は?
まずは私から、挑戦者でありたいですね。