2018.07.30
祇園祭の熱気の漂う京都に、一本のお芝居を見に行ってきました。
「忘れる日本人 the japanese,who forget 」
地点 作:松原俊太郎、 演出:三浦基
この刺激的な演劇の印象を書き留めておこう、忘れないために。
と思いつつ、はた、と筆が止まります。
演劇?
そもそもこれは演劇と分類されるものなのか。
抽象的・断片的なセリフのやり取り。
やり取り?
会話は成り立っているようで 成り立っていないようで。
なのに奇妙な一体感。
それを作り出す言葉のリズム。
時にハッとするほど美しい動きとシーン。
ダンスでもなく、詩でもなく、、、
ならば、これはやっぱり演劇?
往々にして理解しがたいコンテンポラリー・アート。
でも、私は無理に解を見つける必要は無いのかな、と思っています。
そもそも、現代社会は解の無い事象に満ち溢れているわけですし。
迷いは 迷いのままに
理解の及ばぬものは 理解のできぬままに
ただし、忘れず、流されず、大切に持ち続ける。
この夕べ、最も印象的だったシーンは
人々の乗ってきた舟が、ついには放擲され、彼らの担ぐ御輿(元は舟の台座)が見えない壁を突き破るシーン。
(はい、見てない人には何のことだかさっぱり分からないですよね。)
それは「それまでの共同体を捨て、閉鎖された空間を打ち破る」
と解釈することもできるかも知れません。
でも、本当のところは私も知らない。
わからないけれども、
壁を突き破ってくる役者さん一人一人の眼差しは、確かに記憶に刻まれました。
エネルギーのほとばしる一夜でした。