2018.07.22
ただいま熊猫音楽舎は夏の音楽会 Avec les enfants の準備中です。
今回のメインはヴィヴァルデイの四季から「夏」。
「四季」と言えば、草木の萌え出すような「春」のメロディを思い浮かべる方が多いと思うのですが、かっこよさでは「夏」に軍配が上がります。
あまりの暑さに息も絶え絶え、と言った風情の冒頭モティーフから
突然の雷、激しく吹きあれる雨嵐の終楽章へと、息もつかせぬ展開で聞くものを飽きさせません。
原曲は弦楽のための楽曲なのですが、今回はそれをチェンバロ用に編曲しました。
艶やかなヴァイオリンの音色と、弦の技巧を存分に活かした楽曲なだけに
チェンバロ一台で弾くというのはハードルが高いのですが
実はその昔、かのJ.S.バッハもイタリアの巨匠の室内楽曲を多数編曲しているのですね。
それは、彼自身の勉強と、愉しみのためでもあったのでしょう。
もちろん、わたくしにバッハ先生のような素晴らしいアレンジが出来るわけはありませんが弦楽曲を鍵盤楽器用に編曲する作業はとても面白いものでした。
つまり鍵盤で演奏不可能な部分をどう扱うか、
音響的に痩せてしまう箇所をどう補うか、
なかには単純に鍵盤が足りなくて、はて、どうしたものかと思案した部分もあります。
そして、編曲したものを弾きこんで行きながら、
オーケストラの響きをチェンバロからどうやって引き出すか。
これまた、ワクワクするような楽しい作業なのです。
その中で発見も。
派手な第3楽章(嵐の情景)が印象的な夏ですが、
むしろ音楽的に難しいのは第1楽章の「北からの冷たい風が襲いかかって、にわかに雨を降らせて牧童をこまらせる」と言うシーン。
ここでは和声とメロディが絶妙な色合いと表情を見せます。
そのリアルな心情の深さに驚かされます。
はじめ私は「にわか雨」と聞いて、夏の暑さを和らげる夕立をイメージしたのですがとんでも無い。
夏に吹く冷たい風と嵐。
それは秋の収穫を根絶やしにする恐ろしいもの。
ヴィヴァルディの付けた和声に去来する、不安と、諦め、苦々しさ。
その和声を鳴らしながら次第に想いは
厳しい自然環境のもとで喘ぐ17世紀の農民の生活へ、そして現在へと広がっていくのです。