若い奏者の息吹に触れた春の一日(フランス音楽アカデミー聴講記)
2018.03.26
うらうらと桜さく日、「京都フランス音楽アカデミー」のマスタークラスを聴講に行っておりました。
このアカデミーは、1990年から続く日仏音楽交流事業で、毎年春先に京都のアンスティチュ・フランセ関西において二週間にわたって行われております。
国内で、フランスの一流の講師陣のレッスンを直に体験できる場として根付いているようですが、私は初めての参加でした。
1日かけてフルート、オーボエ、声楽、ピアノと四つのレッスンを聴講しました。
え、ピアノ以外のレッスンまで聞いてたんですか?
と驚かれる方もおられるかもしれませんね。
いやこれが、自分の専攻外の楽器の聴講って実はとても刺激的なんですよ。
若い方たちの参加、その音楽への姿勢に目を瞠りました。
フルートのジャン・フェランディス教授のクラスに参加していたK君。
ようやく青年期の入り口に立ったかという、いくぶん線の細い青年。
(といっても、堂々たるフェランディス先生の横に立つのでそう見えただけかも)
「君は本当に素晴らしい才能をもっている。その年齢の学生の演奏としては大したものだ。
でも、僕が聞きたいのは、一人の男としての、君の音楽なんだ!!!」
(注*山本の脳内翻訳なので、正確にはこの通りの言葉ではありません)
という言葉には、「カワイイ」とか「控えめすぎる」とか(どちらもネガティブに使用)指摘されることの多い私としても身につまされる思いでした。
マリー=テレーズ・ケール教授の声楽のレッスンでは受講生の自然な発声に、この20年ほどの声楽界の変化を感じました。
私が学生のころよく耳にした、重く、コントロールのされていないヴィブラートが付いた、「作られた声」で歌っている学生が全くいない!
どの方も、明るい響き、明瞭な言葉、自然な笑顔で歌われていてとても魅力的!
マリ=テレーズ先生が若い受講生に
「あなたの年齢では、その音域はまだ無理に作らなくてもよい」と言っておられたのに
身体が楽器である声楽ならではの指導の難しさも垣間見ました。
(もちろん楽器でも同じ問題はあるはずなのですが)
そして、最後に聴いたピアノ・エマニュエル・シュトロッセ教授のレッスン。
ここでも16歳のTさんの「音楽の魂」に触れ、幸せになりました。
シュトロッセ先生の言葉をかりれば
「彼女はもうすでに音楽家だ」と。
もちろん、ベートーヴェンの告別ソナタの音楽のもつ「深さ」に到達するにはまだ数年はかかるかもしれません。それでも彼女は等身大でベートーヴェンの音楽に全身で入り込み、自らより深い音を探しもとめていると感じました。
思わず、自分の16歳を振り返って、
あのころ、私、なんにも考えてなかったわ、、、と苦笑。
そんなわけで
クラシックの若者離れ、浮ついた世情への憂いを耳にする昨今の日本の中で
こんな素敵な若い音楽家が育っていることに、勇気付けられ、音楽への愛を掻き立てられた春の1日でした。
このアカデミーは
3月30日(金)教授陣コンサート
4月1日(日)受講者コンサート
とまだまだ続いていきます。
ご興味ある方は京都へ足を運ばれてはいかがでしょうか。