2018.01.05
浦添ようどれから首里城前へと舞い戻り、ここでタクシーのおじいともさようなら。
首里城に来たのはかれこれ30年ほど前。
当時は戦火を逃れた守礼門がぽつんとあるだけで、三大がっかり観光地とか言われていた時分です。
美しく再建されたと聞き、それならば、とやってきました。
なるほど、立派な正殿が再建され
昨年塗り替えられたばかりと言う柱の赤漆が光っております。
青空のもと新春芸能なども披露されて、ここには正月の長閑な時間が流れていました。
城内のそこかしこにスタンプ台が設けられ
遺跡には興味のない子供たち、ときどき大人も混じって老若男女ワクワクとスタンプを押しまくっています。
これはなかなか良いアイデア。
そう言えばタクシーのおじいが
「あんな新しく再建されたとこでも世界遺産になるんやね〜」と首を捻っていましたが、それは間違い。
世界遺産に登録されているのは城趾(つまり建物の下)と御嶽石門と玉陵(たまうどん)でした。
再建といっても学術的に研究され、可能な限り当時の建築法を踏襲した建物は見応えがあります。それは琉球王国の歴史を体現すべく、中国・韓国・大和のスタイルを融合させたものでした。
と、ここまできたら琉球王国の歴史を学ばずには帰れません。
おもろまちの沖縄県立博物館へ向かうことにしました。というのも、先ほどからそこに「世界最古の釣り針」があると我が夫が情熱的に語るもので。
県立博物館では沖縄の歴史が先史時代から現代まで、豊富な資料とともに展示されています。各ブースには映像も用意され、なかなかの充実ぶり。
その何千、何万という展示品の中から一本の「釣り針」を探す我が夫。
「琉球処分」と言う言葉は知っていましたがそれ以前のことは何一つ知りませんでした。
150年前まで琉球王国という独立国であった沖縄。
その歴史。
「世界最古の釣り針」が発掘されるほどの長いながい歴史。
その歴史の時間軸を知らずに沖縄を論じていては、何かを見落としているのでは無いかと思いました。
ふと気づけば今回の旅は
嘉数高台から浦添ようどれ、首里城へと沖縄戦の戦跡を辿っていました。
道案内をしてくれたのはタクシーのおじい。
大阪から飛行機で2時間。
意外と近い沖縄。でも知らないことだらけの沖縄。
思い立ったら沖縄へ。
次は南へ、それから北のやんばるにもまた赴きたいと思います。