2017.01.08
セイモア・バーンスタイン著「心で弾くピアノ」をご紹介するこのシリーズもようやく最後になりました。今回は「あがること」について。
よく生徒さんから聞かれることに、こんな質問があります。
「先生はあがったりはなさらないんでしょう?」
とんでもない。
20歳代の時には「私ほどあがる人間はいない」と思っていたぐらいです。
では、いつからアガりだしたか。
これはよく覚えていて音楽高校に進学を決めた頃からですね。
自分の演奏に欲が出てきてからと言っても良いかもしれません。
完璧に弾きたいという「欲」
人にみとめられたいという「欲」
シーモア先生は書きます。
あがるのは「
過剰な責任を感じているからである」と。
それは芸術に対し、自分自身に対し、他人に対して。
しかし彼は言います。それは
「目的に真剣に向かっている心根の証」であると。
だからこそ「あがること」を受け入れ
むしろ「
失敗を防ぐ深いきっかけに変えてみよう」と。
思わず心の中で膝を打ちました。
そう、彼は「緊張」をむしろ肯定的にとらえて、演奏の向上に生かすべしと言っているのですね。
私が、前述の質問と合わせてよく聞かれることに
「どうすれば、あがらなくなりますか?」というのがあります。
真剣に音楽に向き合えば「あがり」とは無縁ではいられなくなります。
だとすれば質問への答えは「あがらなくなる」ことは無いということです。
それならば「緊張」から逃げず、むしろそれを使ってよりエキサイティングな演奏を目指そうではありませんか。
「緊張」の怖さをしっているからこそ、
出来うる限りのありとあらゆる練習を積み重ね、
暗譜の精度を高め
体調を整え
精神を鍛え
舞台にのぞむ。
光と影で彩られたその舞台には人生のすべてがあります。
「緊張」が伴う特別な場だからこそ見えてくる音楽と人との特別な時間。
それは、自分の限界に気づき、自分の限界を超える瞬間でもあります。
追記:
「あがり」から逃れることは出来ません。
それでも、「あがり」をコントロールする術はあります。
その術は演奏者によって様々ですが、私は呼吸を下げることを意識的にしています。ご参考までに。
(終わり)