2015.09.23
前回に引き続きまして
「私が音楽の音楽の道へ進んだ理由③大学時代以降」を綴ります。
大学入学後は、受験勉強から解放され
夢と希望に溢れていました。
また、大学生活がとても楽しく充実していました。
バイトは、ケーキ屋さんのウェイトレス、マクドナルド、デパート、家庭教師をしていました。
掛け持ちもしていました。
1年生の秋頃でしょうか。
高校時代にピアノを教えていただいたピアノの先生から電話がありました。
「今度、結婚することになり、電子オルガンの生徒さんをお願いできないかな?」
将来、講師になりたいから、ピアノを習っていたわけですから、お話があっても不思議ではないのですが・・・
この時、私は初めて、講師の道へ一歩踏み出したわけです。
すぐに自分のレッスンを復活させることになりました。
先生からは「きっと戻ってくると思っていたよ」と言われました。
1年余り、音楽から離れていたわけです。
先生はカワイ音楽教室をすでに教室をやめておられたので
先生のご自宅まで通うこととなりました。
ピアノも元カワイ音楽教室の先生がそちらで教えておられたので習うこととなりました。
1年間の遅れを取り戻すために必死で練習しました。
また、インストラクターの講座にも通い、楽典、和声などの理論を学び、電子オルガンの演奏グレード4級、指導グレード5級、ピアノの演奏グレード6級と指導グレード6級を取得しました。
バイトも続け、レッスン料は自分で払っていました。
大学の勉強と、音楽の勉強の両立は大変だったのかもしれませんが若い時は全然苦にならないものですね。
さて大学卒業後は、先生の推薦でカワイ音楽教室に講師として採用されました。
無事に子どもの頃の夢を実現することができました。
ここまでに至るには、やはり、多くの先生方との出会いがあり、導いてくださったおかげだと
思っています。
また、私が「講師になりたい」と先生方にお伝えしていたことも、夢へつないでいくことができたのだと思います。
もし、生徒さんをお願いされなかったら、普通に会社員になっていたことでしょう。
夢を忘れたというより、違うこともしてみたかったのもあります。
小さな頃からずっと続けてきた音楽。
でも、少し離れたおかげで、より一層音楽への思いが強くなり、その後の勉強に真剣に取り組むことができたのです。
まっすぐに進んできたようで、寄り道もしましたが、もう一度夢を手繰り寄せることができました。
その後、30年間、電子オルガン、ピアノを教えてきて、多くの生徒さん、保護者様に出会うことができました。
若い時は無我夢中でレッスンしてきました。
結婚し、母親となってからはより一層生徒さんへの愛情も増した気がします。
様々な経験が今の私を支えています。
今の段階で未熟というのも恥ずかしいですが、
やはり、今でも毎回のレッスンで新しい発見があります。
いつまでも、若い時に無我夢中でレッスンしていた気持ちは忘れないで
フレッシュな気持ちでレッスンしていこうと思います。
ただ現在は、残念ながら、20年前の生徒さんを最後に電子オルガンの生徒さんがいません。
実家の教室には古い電子オルガンがありますので、たまにレッスンでピアノとアンサンブルしています。
いつかまた電子オルガンのレッスンできる日が来るかな?
私の原点ですから。