2015.08.17
「HEART先生!やっぱりピアノの先生も常に弾いていかんといけんとですよね!常に勉強する姿勢が大事なんですよね!」
威勢のいい明夫くん(33歳。子ども2人。大人のピアノ歴3年。)が目を丸くして元気に言う。
「別に私はピアノが好きだから毎日弾かずにはいられないだけで、勉強とかそんな感じじゃないんですよ。あ~疲れたって外出先から帰った時にピアノを弾くと自分を取り戻せるっていうか、気分がすっと楽になるっていうか。」
「HEART先生!それじゃあピアノはビールみたいなもんすかね!はははははは!」
「・・・。」
彼の言うことは当たっているようでも違うようでもあり複雑な感じ。 そんなある日テレビでヴェンゲーロフのリサイタルをやっていた。右腕の故障で一時はまさかの30代で引退か?と騒がれた彼の復帰後のリサイタル。それが本当に素晴らしい。曲はヘンデルのヴァイオリンソナタ第4番。そのみずみずしい演奏に私は釘付けになった。
この曲はゆっくりとしかも格調高く始まる。会いたかった人にやっと再会したような深い旋律。許しを与えるようなおおらかさ。ほのかにただよう影のある音色も音楽に奥行きを与えている。伴奏はピアノだがヘンデルの良き時代の空気が醸し出されていてヴァイオリンと一つの世界を生み出している。響きが一体となってホールに温かい空気を満たしているのが分かる。
2楽章にはいると生き生きとした動きに全く無理がない。ピアノもどんなに速くても歌えているし、音が語りかけている。ヴェンゲーロフはバロックの弓を使っていると言っていたが、ビブラートはおさえめで弓を回転させながら自由自在に旋律を彩っていく。
短調の3楽章がまた素敵。ヴェンゲーロフも引退の2文字に相当悩んだ日々だったのだろうか。それとも年齢を重ねて深みを増してきたのだろうか。生命力に溢れていながら、しっとりとして気負いがない。もっともっと渋い弾き方もあるだろうが私は今の前向きな生き方を思わせるような演奏に満足する。これからのヴェンゲーロフがどう変わっていくのを聴きたいと思わせる。
そしてフィナーレの第4楽章。もうみずみずしい果物をおなかいっぱい食べたような気持ちのよさ。どこまでも澄みわたった、でも中身の濃いぱんぱんにはちきれそうに良く実ったぶどうのような、もしくは青々と澄み切った空のような演奏。ヴェンゲーロフ自身も曲の中に入り身体全体で音楽を演奏する楽しさを表現している。目をつぶり少し上向きかげんで微笑みながら、最近はすこし貫禄がでてきた彼の身体から発せられる音の洪水、そして音楽を奏でる喜び。ヘンデルの音楽の輝きの中に吸い込まれそう。しかも適度の抑制も効いていて聴いていて疲れない。きっとホールで聴いたらもっともっと気持ちよさが伝わってきただろう。 演奏を休止していて乾いていた彼は久しぶりにホールで演奏して身体の細胞のひとつひとつに音楽がしみわたるのを感じただろう。
“細胞のひとつひとつにしみわたる感動・・・”
その時ふっと明夫くんの声が頭の中に響いた。
「それじゃあピアノはビールみたいなもんすかね!はははははは!」
「ビールみたい・・・確かにそうかも。」 音楽の暗い部分とか病んでいるような部分をあえて追求するのもおもしろいが、このような生命の輝き、健康です!という演奏にぶつかると本当に新鮮な感動をおぼえて力をもらう。まだずっと以前。怖いものも知らず、どこまででもどんどん走っていきたいような、可能性だけしかない時代を思い出す。ひたすら「楽しい!」というのも音楽の大事なもののひとつだな、とあらためて気付く。 そういえば明夫くん。彼は元気で声が大きくて、ちょっと思い込みが激しい(?)が、会えば私を元気にしてくれる。 もしかして当の作曲者のヘンデルせんせーも見かけによらず明夫くんのような人だったのかしら・・・?
熊本市東区健軍 HEART PIANO ハートピアノ教室熊本