2025.11.15
悲しい音楽や映画で思わず流す涙…。
なぜ私たちは悲しさを求めたり、楽器で奏でたりしたくなるのでしょうか?
そしてなぜ、涙を流しながらも、それを美しいと感じ、感動するのでしょうか?
それは、人の心の中に『受苦の快』すなわち苦しみの中に快楽を見出し『悲劇を楽しむ』仕組みがあるからです。
” 人は魂が揺さぶられることの中に快がある”と考えたのはデカルトです。「ああ、素敵な音楽だな、きれいな景色だな…。」と感じる、そしてたとえそれが悲劇や悲しい音楽であっても、人は心が動くこと自体を心地よく感じるのです。
また、アリストテレスは悲劇を疑似体験することで悲しみや苦しみを安全な距離から体験し、最後に放出することでスッキリすると考えました。これが『カタルシス』と呼ばれる感情の浄化です。
すなわち、とても耐えられない現実の苦しみ(災害、痛み)とは違い、フィクションの悲劇や、音楽から呼び覚まされる悲しさは現実ではないので、その悲しみは心の『安全な揺さぶり』に留まります。悲劇の世界へ没入しても、平穏な現実が自分を包んでいてくれるという二重構造が、悲しいのに心地よいという感情を生み出すのです。自分は第三者としてフィクションの悲しみを味わいつつ、悲しみながら楽しむ。登場人物に感情移入したり、音楽の盛り上がりや物語の劇的な展開で感極まって涙を流したり、と自分の悲しみを放出させる、というのが『カタルシス』の快感なのです。
ちなみに、『カタルシス』以外にも、日常生活において涙を誘発する要因は様々です。災害時の恐れ、感謝の気持ち、祖国への郷愁…。我々は実にいろいろな場面で涙を流します。
その中で、『カタルシス』の涙は無意識下で抑圧されている感情を放出させる効果があります。
フィクションの涙は人が生きていくことを助けるのです。
秋の夜長、悲しい物語や音楽で自分の心を開放してあげるのもいいですね。特に音楽は聴くことはもちろん、自分で奏でることで『カタルシス』効果は何倍にもなるといわれています。
ちなみに『ワニの涙』とは、偽善の涙、ウソ泣きのことだそうです。この言葉は、ワニが獲物を食べながら涙を流す(残忍さを悔いているように)ことを指しているのですが、本当はワニは食事をすると涙管が敏感になるから涙が出ちゃった、という事実があるだけで、感情とは何の関係もないようです。
『笑いの涙』については教室Instagramの『Momento to Smile』のコーナーで☆笑笑
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