2025.03.31
2025年3月。冬に逆戻りの寒さの熊本市は花曇り。そして歩行者天国の自衛隊通りでは、たくさんの人がお花見を楽しんでいます。そこにおや、近くを通り過ぎる一台の車。
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聡子せんせいは孫の運転でドライブです。古希になっても続けているピアノ教室は、年度変わりで学校が春休みの間はお休みなのです。孫も大学が休みで久しぶりに聡子おばあちゃんの家に遊びに来ています。
お天気はあいにくの曇りですが、孫とのドライブに聡子せんせいは幸せをかみしめています。彼は五人いる孫の中で一番おとなしく一番優しい子なのです。
「わぁ、きれい。そこにも咲いてる。」
桜のトンネルをくぐりながら、聡子せんせいの頭の中を春の曲が次々と流れていきます。
「《さくら横ちょう》って歌があってね。この時期になると必ず聴きたくなるのよ。春ってうきうきする反面とても悲しい時もあるじゃない?急に泣きたくなるみたいな…。特に今日みたいな花曇りの日は、見るものも自分も色が薄くなっていってそのうち消えてしまうみたいな気がするの。人って年を取るとだんだん薄くなって透き通ってきて、少しずつ見えなくなっていくんじゃないか…そんな妄想にとりつかれる時があるのよ。」
“「その後どう」「しばらくねえ」と
言ったってはじまらないと
心得て花でも見よう”
車はどんどん山道を登り、行き交う車の数が減っていきます。街の風景もだんだん小さくなって、下のほうでかすんでいきます。
「おばあちゃんの思い出はもうこんなに大きくなっちゃった。毎年はかない桜をながめるけれど、その一つ一つの思い出は長い時間の中で大きくなっていくの。」
車は山の上へなめらかに上っていきます。登るほどにそこはまだ寒く、桜の花の数は減っていきます。
”春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう”
「あなたは本当に優しくて天国のあの人にそっくり。」
聡子せんせいはそう言ってにっこり笑い、そのあと少し泣きました。
少ない桜の花の淡い色は、あたりを意味ありげに包んでいます。
街は遠くなり、下へ消えていく…。車は桜色のもやの中を進んでいきました。
どこかの解放された空間にのぼっているように…。
3月のある日の白昼夢…。
※白昼夢はフィクションです
”“内:加藤周一 作 さくら横ちょう
熊本市
東区健軍ハートピアノ教室