2024.06.15
音とは不思議なもの。聞こえ方は場面によって様々です。
夜中の静けさの中で、ちょっとした音に耳が敏感になり眠れなくなることがありますが、逆に音が多い電車内や、テレビの音が絶え間なく鳴っている環境では意外と眠くなったりします。
“静寂”や“無音”は環境やその人の捉え方によって変わり、音の量や種類では一概に測れません。ぼんやり電車に揺られて眠気に襲われる時、人はある種の“静寂”の中にあるのかもしれません。
“無音”とは何なのでしょう?
音楽を哲学したアメリカの作曲家ジョン・ケージは『4分33秒』という“沈黙の音楽”を書いています。彼は“沈黙”を音楽の絶対零度であるとし、それを示す摂氏マイナス273度を秒単位に直して4分33秒(=273秒)と題しました。
演奏者は4分33秒間ピアノの前にじっと座るだけ。何も行いません。この曲の中で人はその時に偶然聞こえてくるものに耳を傾けます。
ケージは「禅」に影響を受けていたので、座禅の際に瞑想によって無に没入する心身の状態と同じことを、曲としてあらわしたと思われます。
姿勢を正し、呼吸を整えて、雑念から離れて周囲の音に耳を澄ますことで自然や空気と一体化する座禅と、『4分33秒』は同じものを求めているのでしょう。
東洋人の我々の中には、この感覚は既に備わっている気がします。枯山水の庭園を眺めながら水の音を自分の中に聴く時、この『4分33秒』が意図するものと似たような事が起こっています。
更に興味深いのはジョン・ケージの無響室での体験です。彼は無音を聴くために、ハーバード大学の無響室に訪れます。ところがその部屋は無音のはずなのに、高い音と低い音の二つの音が彼には聴こえてきました。
なんと高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音なのでした。無音を体験しようとして入った無音室でも無音になれなかった彼は「私が死ぬまで音があるだろう。」と言ったそうです。
ただ、それは理論上のこと。
野球の試合で延長18回を1人で投げ抜いた投手が、あまりのプレッシャーと疲れから、途中から何も聞こえなくなった、と言うのを聞いたことがあります。
“無音”や“沈黙”は理論上あり得ない状態なのですが、人の感覚の中に確かに存在していると思います。
熊本市
東区健軍ハートピアノ教室