2021.12.30
今年亡くなった方を偲ぶ年末です。天寿を全うされた方もいれば、頑丈なスポーツ選手、まだ若くて美しい方…。どんな命も永遠ではなく、“死”がやってくる順番は誰にも分かりません。
シューベルトの描く“死”は、恐ろしさとともに至福の響きも持っています。35歳でこの世を去ったモーツァルトも、父親に宛てた手紙に「死は最上の友人、真の幸福への鍵。心を休め慰めてくれるもの。」と書いているように、“死”は優しい物腰でやってくるのです。
シューベルト作曲『死と乙女』は死が若い娘を迎えに来るという場面を表現した音楽で、歌曲と弦楽四重奏とがあります。
歌曲の『死と乙女』では「私はまだ若いのよ。来ないで。触らないで!」と言う《乙女》に《死》が言います。「私は友なのだよ。こわくない。さあ、私の腕の中で安らかに眠るのだ。」と。《死》が歌う部分はシューベルトを支配している二分音符ひとつに四分音符二つのリズム。メロディーにはほとんど抑揚がありません。そして呪いのような死への誘いの後には、美しく夢見るような響きが鳴らされます。
弦楽四重奏の『死と乙女』は壮絶な幕開けです。突き刺さる冒頭の三連符。まさに“死”がそこに立っています。二楽章のかすれたヴァイオリンと遠くから聞こえてくるピチカートに聴こえてくる壮絶なものと安らぎ、そして最後は狂ったようなダンスのリズムで幕を閉じます。
「自分の中には悲しい音楽しかない。僕が愛を歌えば哀しみになり、哀しみを歌えば愛になるんだ。」と言ったシューベルトは、音楽の持つ究極の美と哀しみを聴き手に差し出します。心の一番深いところに触れるその音楽は“死”の持つ意味を浮き彫りにし、その恐ろしさは聴き手の心の奥深くの悲しみに突き刺さりますが、同時にあまりにも美しく聴き手を陶酔させ、行ったことのない彼岸の風景を私たちに見せてくれるようです。
暮れに年賀状欠礼状をいただくと、そうやって周りへ粛々と行き届いた手配をされる残された方のお身体のことを心配してしまいます。しかし悲しみに押しつぶされてしまわないようにする方法はどこにも見つかりません。残された人にはどんなにつらくてもその後の人生が待っています。ソプラノ歌手の妻を亡くした指揮者の夫は、その後の人生もオペラを振っていかなければならないのです。
寒さで鳥がまあるく羽毛をふくらませています。その鳴き声になんだか命を感じます。鳥たちは今の生をただ生きようとしています。北風を受ける可愛いその姿は、この世の命の美しさのようでも、シューベルトの哀しみのようでもあります。
シューベルト 即興曲 Schubert Impromptu Op .142 No .3( D 935 )B flat majorもご覧ください。