2016.05.10
前回、子育てにおいて小学校の低学年位までは、努力する習慣をまず身に付けさせる事が最も大切な優先事項であって、その為には、子供の意志を尊重しながらも、子供に振り回され過ぎることには、注意が必要であると述べさせて頂きました。
それに対し、今回は思春期の子供の場合にはどの様に考えれば良いのか、考察してみたいと思います。
いつ頃から思春期と呼べば良いのかは定義の難しい処ですが、一般的にはいわゆる反抗期が明瞭化してくる中学生以降、もしくは早熟なケースでは小学5年生頃から含めても良いかも知れません。
この年代になると、必ずしも「楽をしたいから・・・」などという理由だけの意志のぶつかりではなくなってきます。親の方針や家の方針に対して納得がいかない場合には、真っ向から「自分はこの様に思う・・・」と主張してくる事は、決して珍しいことではありません。
ただ親が自信家で、常に自分の思う通りに家の中を切り盛りしたいと考えているようなタイプの場合には、逆に以前「叱っても良いが怒ってはならない。」で述べさせて頂いた様に、子供の方が萎縮してしまって本当の気持ちが言い出せず、認めてもらう為に親の評価ばかり気にして行動する様になる場合もあります。
どちらにしても、この年代になってくると、表立っては逆らわずとも、親も完璧な人間ではないことくらいは理解し始めています。
小さい頃は親は絶対的な存在で、言う事を聞いていれば親も満足するし、何も問題はなかった筈ですが、年を重ねていくうちに、どういう訳か親に言われた通りに従ってみたら、うまく行く事もあれば、これは明らかに失敗では? と思われるケースにも遭遇したりして、子供達の方もこれは自分の頭でしっかり考えなければとなっていく訳です。
又、判断を間違えた時には、親であっても子供に素直に詫びて方針転換できる方が、私は立派で子供からも信頼されると思うのですが、変な威厳やプライドが邪魔になって意固地になり、自分を変える事の出来ない大人の方が多いのではないのでしょうか。
その事が「どうせ・・・」という子供の無力感、無気力の元になったり、反抗心・恨み心に将来発展していくことは、よくある事だと思うのです。
それでは、そろそろ結論に入って行きたいと思います。
人生は一冊の問題集であり、今現在の自分の心境も、取り巻く環境も、過去様々に自分自身の意志で決断してきた選択・判断の積み重ねの結果です。
言い訳したくなる時もありますが、決して水責め・火責めの中で決断を迫られた訳でもなければ、縄で括って連れてこられた訳でもないでしょう。嫌な時は「イヤだ!」と言い、やりたい時には「ヤリたい!」と言えた筈です。
子供は親の分身でもなければ所有物でもありません。肉体の方は確かに親から分かれて来たものではあるのですが、自分の子供であっても、その本質部分にあたる魂・心の方は、本来元々独立した人格を持っていて、今世ご縁があって大切にお預かりしているものなのだと考えるべきなのです。尊重すべき根拠はここに由来します。
その魂が、いよいよ自分の人生を主体的に生きていく為に、親の意見を参考にしながらも、自分なりの正解を模索し、選択判断をし始めたのであれば、親としては少し寂しくもありますが、嬉しいことでもあるはずです。
親の側から見れば、少し危なっかしく見える所も正直言ってありますし、人生の知恵で結論らしきものが見える場合もあるとは思いますが、仮に失敗することが予見できたとしても、思春期の子供が示してきた意志に対しては、ある程度尊重し、「やってみよ!」と言えるだけの度量を持ちたいものです。
ただし、その選択・判断の結果については、自分に責任が生じるのだという事をきっちりと教えなくてはいけません。ここが一番大切なポイントです。「ここから先は親のせいではないぞ!」と。
一度に突き放すのは無理でしょう。親であってもそうですが、失敗しながら子供は成長します。その成長を見守りながら、少しずつ知恵を持って、匙加減を変えていかなくてはならないのではないでしょうか。
子供は自分を尊重してくれた事に親の心意気を感じ、又忍耐の中、見守り続けてくれた事を、立派に成長した後に思い出しながら、親の愛情をしみじみと実感する事でしょう。私達大人も又、そのような様々な愛に育まれて生きてきた筈です。