2016.05.08
今回は、「子供の意志は、どこまで尊重されるべきか」というテーマで、親子間の適正なあり方について共に考えていけたらと思います。
この問題は、子供の年齢によって分けて考える必要があるのではないかと私は思っています。
まずは小学校低学年位までの、お稽古事を始めるか、もしくは始めてまだまもない頃について、考えてみましょう。
ピアノに限らず、スポーツでも勉強でも大人になってからの仕事でも、何かを成し遂げていく基には必ず克己心があり、それを鍛錬していくための努力の習慣、日常化がとても大切であることは、皆さんも賛同して頂けるのではないかと思います。
実は親として、お稽古事等を通し、子供に最初に身に付けさせたいものは、各種の技能や知識の前に克己心であり、コツコツ努力できる習慣なのではないでしょうか。
ただ人間も動物的な属性から完全に自由にはなれない以上、もし本能に従うのみであれば、目の前の獲物を手に入れることには努力する事が出来ても、放っておけば楽な方に身を任せ、どうなるか解らない将来の為なんかに、毎日しんどい事などやりたくないというのが普通ではないでしょうか。
もっとも、最近ではなんでも与えられすぎていてハングリー精神もなく、目の前の獲物を手に入れることすら自分で努力せずに、人任せというケースもあるかもしれません。
夢を描いて折角始めたばかりのピアノを、「練習が嫌だから、しんどいから、つまらないから・・・」などと言って、すぐに投げ出そうとする子供を時々見かけます。そして驚く事に「うちは子供の意志を尊重したいので、嫌がるのを無理にさせようとは思いませんので・・・」と言う親御さんが、時々おられます。
でもその親御さんは、そもそも自分の子供をどのように育てて、どのようになって欲しいと願われていたのでしょうか。
練習しなければ上達しませんし、上達しなければ曲をちゃんと弾けるようにはなりませんので、つまらないのは当たり前です。つまらないのはピアノのせいでも、大抵の場合はレッスンのせいでもなく、上手く弾けないことが原因です。
それでは、すぐに弾けるようにさせられない事が問題ないのでしょうか?
指導力に問題がある場合については別途論じなければなりませんが、努力しなくてもすぐに出来ることなど、どうせ大したものではありません。一時は楽しくてもすぐに飽きてしまうものが殆どではないでしょうか。
身に付く事で永く喜びが持続するもの、人生を豊かにし、向上させることができ、本当に値打ちを感じる事が出来るもの程、すぐには出来ないものが多いのではないのでしょうか。
大人はそれらの事を、今までの人生経験の中で、ある程度は知っています。しかし子供達は人生経験が未熟で、苦難を乗り越えた経験がない為に、大人から教わらないと努力する事の値打ちが理解できません。楽な方が良いに決まっています。
大人は子供の言うことには耳を傾け、一旦はその気持ちを受け止めなくてはなりません。ただし、価値判断することから逃げて、子供に振り回されてもいけません。「人生には大切な事があるのだ。お父さんやお母さんの事を信じて、一緒に頑張ってみないか。」と、一旦挫けそうになった心を棚上げし、説得出来るだけの権威を持ってもらいたいものだなと思います。
以上が、比較的小さい子供達の場合に対する私の考えです。幸福な人生を送っていく為の基礎を養っていくとても大切な時期です。大人の側も自らを律し、良き感化を与える事ができるように努めたいものです。
人生において本当に値打ちのある事、そしてその為に必要な心掛けとは何か、これらの事を幼少時代に教育された子供達は、大きな可能性という宝物を手にしたのと同じことです。大人の責任を果たしていけるよう、共に頑張っていこうではありませんか。
次回は思春期以降の子供達の場合について、同じテーマで考察してみたいと考えています。 つづく。