2016.04.20
ピティナピアノコンペティションの課題曲が発表されてから、早いもので2ヶ月弱の時間が経過し、課題曲の研究、そして選曲、譜読みと本番に向けての準備を着々と進めておられる事であろうと思います。
そこで今年初めて参加する生徒さん、そして今回新しい級に進級する生徒さんそれぞれに固有の課題が持ち上がっている事と思われますが、その中でも一番進級が難しいとされるD級(中2以下)への進級について、少し考察してみたいと思います。
なぜD級への進級が他と比べて特別難しく感じられるのでしょうか?
実際D級の参加人数を見ても、C級の3分の1位に減っている地区がほとんどで、皮肉な言い方で恐縮ですが、C級で悟りを開かれる方が多い事がこの事からも分かります。
逆にB級までは比較的、曲も短く易しい為、良い指導を受けられる環境であれば、ある程度演奏の形を作ることは可能でありますし、例え練習嫌いな子供でも、器用でセンスが良ければ結果を残すことが有り得る段階だと言えます。
しかしC級ではそれが段々通用しなくなります。努力の習慣が身についていて、そこまで積み上げてきたものがしっかりしたものでないと、器用なだけでは曲を磨き切る事が出来なくなってきます。ウサギにカメが追いついてくる頃だと言えましょう。
そして、いわゆる名曲と言われる曲が課題曲に登場し始めるのは、D級以降になります。つまりピアノを続けてきて本当に良かったなと実感し、その醍醐味を味わえるようになるのはD級からであり、ここからが本番であって、C級まではその準備に過ぎないと言っても過言ではありません。
D級からは、努力の習慣が身についていない子はまずアウトです。付け焼刃でなんとかなる級ではありません。課題曲にやりがいのある曲が増えてくる反面、読譜の量も増え、技術も高いものが要求され、内容も深くなり、一定の教養・見識が求められてきます。
その反面、中学生になったとたんに勉強も忙しくなり、塾や部活動などで拘束される時間が飛躍的に増えて、練習時間の確保すら難しくなるのが一般的です。
高いレベルが要求されてくるのに持ち時間だけはどんどん減っていく、最早これまでと自分自身に引導を渡す人が続出するわけですが、今回のテーマである「自力」があればここを乗り越え、ピアノを一生モノにしていく事が可能です。
では、地力とはなんでしょうか?
十分な準備をし、力を出し切るための条件を整え、最高のパフォーマンスをする、一般的にはコンクール等にチャレンジする時の姿勢としてはこれで良いと思いますが、私が言っている「地力」とはこの時に発揮される力の事を言っているのではありません。
「地力」とは、何の準備もなく、最悪の環境、そして最悪の体調であっても、これより悪くは決してならないという実力です。アマチュアには要求される事はあまり有りませんが、プロには常に期待されているものだとも言えましょう。しかしアマチュアであっても、それを高めて行く事に関心を持つ事は悪い事ではないと思います。
ではどうすれば地力を付けていく事ができるのでしょうか。
地力は努力の習慣があり、コツコツ積み上げていく中で少しづつ身に付いていくものです。一度に死ぬ程頑張ったからといって身に付くものではありません。
指導者は生徒の地力のレベルを正しく把握し、達成可能な次の一歩を示し続けなくてはなりません。生徒は素直な心でその教えを受け取り、やがて小さな成功や達成感を積み上げていく中で自信や希望が膨らんで行く、これが全てです。生徒から希望を奪い、絶望を与えたいのでなければ、百歩先でも十歩先でもなく、次の一歩である事が大切なのです。
もちろんソルフェージュの勉強が大切であるとか色々ある事はあるのですが、その話は又別の機会に譲ることとして、今回はその考え方の部分に止めておきたいと思います。
当音楽院でもD級への進級者が今年1名おり、地力のテストを兼ねて、小学校の最後の3学期に、全日本ジュニアクラシック音楽コンクールを受けさせてみました。
教本は続けながら、予選ではベートーベンのソナタを本番3週間前から譜読みを始め、本選はドビュッシーを2週間、全国大会は約1ヶ月でショパンのスケルツォ第1番に挑戦させました。
かなり厳しいスケジュールでしたが、予選は通過ラインを20点も上回る90点で通過、本選は当日発熱し最悪の体調の中でもしぶとく通過、全国大会はさすがに弾くのに精一杯でしたが、順調に地力が付いてきている事が確認できて、私は大変満足でした。
中学3年間は高校受験等もあり中々大変ですが、人生で一番成長する時期です。地力をつけてこの飛躍の大チャンスをものにしていって下さい。期待しています。