2015.07.08
常に親からの評価を気にしている子供達がいます。自分に自信が持てない子供達です。一方、親からの評価に対しては無頓着な子供達がいます。比較的自分に自信のある子供達です。
怒られるかどうかがいつも気になる子供達は、その事が自分の意思決定において重大な意味を持っています。一方、機嫌よく毎日を過ごしているタイプの子供達は、成長するにつれ他からの評価を求めるのではなく、自分自身の納得を求めるようになり、正しさ、真理などを行動基準とするようになっていきます。
自分が愛されているかどうかを、常に確認せずにはいられない子供達は、神様や両親からの無条件の愛に気がつく事のできない子供達です。一方、自信のある子供達は、自分が神様や両親から無条件に愛を受け祝福されている存在であることを日常の感覚として確信している為、心に深い安心感があり、常に物事に前向きです。
さて、子供達は親から正しく叱られた時、シュンとはしますが、そこに深い親からの導きの愛を感じていることでしょう。一方、親から感情的に怒りをぶつけられた時には、本当はお父さんお母さんのことが大好きでも、やはり理不尽な気持ち、反抗心や憎しみが心に蓄積していくこととなります。
両者は似ているようで全く別のものです。怒っている状態は、感情のコントロールを失った状態であり、氾濫した川の水は他人の心を傷つけます。一方、叱るという行為は正しさという基準に基づいて教え導く理性的な行為で、治水された川の水は他を潤していくことが可能です。
子供達を叱っていると言いつつ、心が乱れているようではいけません。それは自分の思い通りにならなくて怒っているだけの場合があります。
又、間違った行為を理性的に叱ることは構いませんが、行為ではなく存在を否定するような言葉を発していないかどうかにも注意しなくてはいけません。「本当にダメな子だねえ!」「なんてのろまな子なの!」「頭悪いんじやない?」「お母さん、恥ずかしいわ!」などです。この様な言葉を無条件の愛を受けることができるはずの親から言われると、子供達は自信をなくし、自分が否定されたと感じるのです。
逆に褒める時も注意が必要かもしれません。上手な褒め方は叱る場合とは逆で、行為を褒めすぎず、存在そのものを肯定し祝福する言葉を使うことです。「本当にいい子だねえ!」「お母さん、あなたのことが大好きよ!」「大丈夫、お母さんどんな時もあなたを信じているから!」などです。失敗し自信を失いかけている時ほど必要になってくる言葉です。存在ではなく、行為やその結果の方にばかり目を向けていると、逆に自分はタダでは愛されないんだという気持ちになってしまいかねません。
何故、今このような話をするのかといいますと、現在コンペの真っ最中でもあり、色々な結果に伴っての心のコントロールが非常に難しい時期であると感じるからです。
ただ、コンペに限らずとも、心のコントロールの難しさは、子育て中の親にとっては普遍的なテーマです。
以前、努力にも色々あるけれども、「心のコントロールにこそ最大の努力を」というタイトルで記事を載せたことがありますが、まさに子供達に無我で純粋な愛情を注ぐためにも、この事が最大の関心事であって然るべきではないかと私は思います。
大人も子供も無条件で愛されたい気持ちに変わりはありません。人生で最初の人間関係であり、愛とは何かを学ぶ最初の機会がこの親子関係です。であるならば、神様が我々が気づく気がつかないに拘らず、又は感謝するしないに拘らず、無尽蔵の愛を無条件で与え続けてくださっているように、私たち大人も子供達が何かをしたからではなく、無条件でその存在を愛し、子供達にとっての安心立命の根拠となっていかなくてはならないのではないでしょうか。
心のコントロールは本当に難しいことですが、愛の思いがその事を可能にしていくことを私は信じて疑いません。共に励ましあいながら歩んでいきたいものです。
以上、子育てが下手で多くの後悔を残してきた者の独り言です。若いお母さん、お父さん達の参考になれば幸いです。