2012.07.03
今回は、適正な練習の仕方について私の考え方を述べてみたいと思います。ただし個別具体的なことに踏み込みますとそれだけで1冊の本になってしまうようなテーマですので、今回は総論的な話にとどめておきたいと思います。
私は練習が適正なものとなるためのポイントとしては、楽曲の完成した姿、理想像をしっかり心の中に描き、つかんでしまうことと、最初に取り掛かるべき練習の目的・方法・内容をきちんと理解できていること、この2点が大変重要だと思っています。
理想は描けても、何から始めれば良いのか、又そこへ行くための作業工程が分からなければ、練習は迷路の中に入ってしまいますし、逆にどこへ向かうのかも知らされずに、目先の作業ばかり強制されていますと、仮にそれが正しい作業であったとしても、希望を失って挫けてしまいかねません。
楽曲の理想像を心に描き、つかむには、一定の音楽的教養を身に付けた者であれば、自らの美意識と向かい合い、心の中に紡ぎ出して行くべきものだと思いますが、それ以前の段階のレスナーに対しては、やはりお手本は必要だと私は思います。
指導者が参考となるようなCD等を紹介することもその一つですし、指導者自身がお手本を示してあげることも大切ではないかと思います。
レスナーはそれらを拠り所にし、練習に取り掛かり始めるわけですが、その時指導者は、レスナーの現在の立ち位置から目的地に向けて、適正な梯子を掛け方をし、まずその1段目にあたる練習から順々に取り組ませなければなりません。
中にはいきなり3段目、5段目辺りに足をかけさせようとする指導者もいます。場合によっては梯子を掛けることすらせず、根性で2階へ上がらせようとする無茶な指導者もいるかもしれません。
理想を達成し、夢を叶えるまでの途中の一つ一つの作業工程が見えていることはとても大切です。レスナーにとっては十分にわからなくとも、指導者側に十分な見識があり、その判断・指示に信頼が寄せられていることがとても重要であると言えるでしょう。
ここでいう1段1段とは、その時々における身近で達成可能な努力目標です。それらが適正に指し示され、適正に積み重ねて行くことが出来れば、2階と言わず、東京スカイツリーでも時間さえかければ登りきることが出来るのです。
でも1段1段づつ登るのも、根気と根性が必要なのではという声が聞こえてきそうです。その通りです。ただ、胃袋にも一度に消化吸収できる量に限度があるように、その日の練習にも理解吸収できる量には限度があると知らなくてはなりません。
その日の課題に対し、一定の進歩が認められるまで粘り抜くための根性は、ある程度は必要だとは思います。しかし、適正な方法で努力しているにも拘らず、進歩が感じられなくなってきたら、もうその日の容量を超えているのです。根性だけで練習をさらに続け、自分を痛めつけるべきではありません。
翌日空腹になるのを待って、もう一度頑張ってみるとすんなり出来てしまう事がほとんどです。
今回は、適正な練習の仕方についての私の考えを述べさせていただきました。
今日も当音楽院には、コンクールの本番を控えた生徒が練習に来ています。(レッスンではありませんので料金は頂いておりません。)
初めてのコンクールで緊張し、ミスを連発してしまい、1回目の予選に通らなかった生徒ですが、2回目に向けて根性で頑張るだけではなく、適正な練習を心がけて欲しいとの気持ちで呼んでいます。
ずっと付き添っていなくても、練習の音が聞こえていますので、変な方向へ練習がずれそうになったときには一声かけてあげようと思っています。(Yちゃん、がんばれ!)
次回は適正な競争心について考察する予定です。それでは又。