2017.01.12
ピアノに於いてもスポーツに於いても、或いは他の物事に於いても、練習時に発揮できる実力と本番時に発揮できる実力には違いがあります。
例えばフィギュアスケートでは、同じ4回転ジャンプを跳ぶのでも、練習で跳べるのと試合で跳べるのとでは、全く意味が違うとよく言われています。
練習通りに本番でも実力を発揮できる人、本番では緊張して実力を出しきれなくなる人、本番ではむしろ練習以上のプラスを生み出せる人、大きく分けてこの3通りのパターンのどこかに私も皆さんも属しているはずです。もちろんそれ以外に練習でも成功したことがないというケースも有るには有りますが、これは本番に臨む以前の段階として除外すべきでしょう。
その中で最も理想的であるのが、本番で練習以上のプラスを生み出せるケースだと思いますが、これは本番中でもインスピレーション、或いはひらめきを得られる状態であることを意味しています。
それらが得られる為には、精神が非常に集中できているのと同時に、リラックスも出来ていなくてはならないので、練度の高さだけではなく、あらゆる不安から解き放たれた自由自在かつ透明な境地に達していなくてはならないでしょう。
ただそこまで到達する前の段階として、練習時の力が本番でも同様に発揮できる様になりたいものですが、これが実際はなかなか難しいのが現実で、一流アスリート達でさえ、試合前の「ノーミスが目標です!」とのコメントや、勝った試合であっても自分のミスに対してダメ出ししている姿に、その難しさがよく表れていると思います。
そして最も多く見られるのが、練習では成功しているが、本番では失敗してしまうというケースで、その多くは過度な緊張、或いは過度なリラックスであったり、そもそもの練習での成功体験への自己評価・信頼の不足など、心のコントロールに起因することがほとんどで、まさに他人と勝負する前に、いかに自分に勝てるかという所で、誰もが苦労している事に間違いはありません。
練習で成功しても、その成功を反復して自信に変えていかなくてはならない訳ですが、やはり本物の自信は本番の真剣勝負の中で成功してこそ得られるものなので、そこは産みの苦しみというか厳しいものだと思わざるを得ません。それだけにせめて発する言葉だけでも、積極的で肯定的な明るい言葉を発し、自らを励まし続ける事は忘れないようにしたいものです。
例えば、仮に練習であったとしても、難易度の高い技や楽曲が、一度でも自分のイメージ通り出来たなら、それは本番でも成功する可能性が出てきたという事で、それまでの努力が一定の実を結びつつあるという事なのです。完成までもう一息であって、決してゼロではないのです。それに対する激励の言葉は、結果を判定する事が仕事である審判や審査員からではなく、そのプロセスを見守り続けている指導者、ご家族、さらには本人自身からも発せられるべきでしょう。
さて今年も、ショパン国際ピアノコンクール in ASIA が終了しました。当音楽院からは、中学1年生のYちゃんが小学生時代に続き、今年も全国大会に進出しましたが、アジア大会進出の夢は、残念ながら再び来年以降に持ち越しとなりました。
中学生の課題は、ショパンエチュードと8分程度のショパンの楽曲ということになっており、その場合スケルツォ・バラード系が選曲の中心になっていて非常にレベルが高く、挑戦する事自体が不可能な学習者が殆どであろうと思います。
Yちゃんは「黒鍵のエチュード」を4ヶ月、「スケルツォ第1番」を1年まるごとかけて準備に当たりましたが、練習ではほぼミスなく、イメージ通り演奏できるところまで磨き込む事が出来たものの、実際の本番では残念ながらミスが多発し、十分な力を発揮することができませんでした。
ここまでくる過程には、中学生の壁に自信を喪失しかけて、挑戦を見送ろうかという時期もありましたが、結果的に練習レベルではあったとしても、イメージ通りに弾けるようにはなりました。そして表現の仕方等におきましても、小学生時代とは異なり、自分の考えが主張できるようになってきて、いろいろな面で成長を感じる事のできた1年間でした。
Yちゃん、ナイス・チャレンジです。失敗はチャレンジした証でもあります。それもただの失敗ではありません。そこから課題を見つけ、そして学び、次に繋げていく為のものです。確実に段階は一つ上がりました。その事を私は保証致します。今では以前に弾いた幻想即興曲がすごく易しい曲の様に感じるのではないでしょうか。
自分に勝つ為に、次の1年間で何ができるか。共に考えながら、人生で一番成長する中学2年生を迎えましょう! Yちゃん、お父様・お母様、お疲れ様でした。