2016.09.28
熱い戦いを繰り広げたリオ・オリンピック、パラリンピックが終わり、ピアノ教育界では最大級のイベントでもあるピティナピアノコンペティションも終了して、約1ヶ月ほどの時間が経過致しました。
オリンピック・パラリンピックでは、毎日の様に夜更しをしながらテレビ中継に釘付けとなり、勝者のインタビューに共感しては涙し、敗者のインタビューに共感しては涙を流されていた方も多かったのではないでしょうか。
そこには真剣勝負の中、勝敗を超えて人々の心を感動で満たし、揺さぶらずにはおかないスポーツマンらしい清々しさや、弛まない努力の果てに、困難を乗り越えてきた真の負けず嫌い達の眩しい姿が見られました。
後ろ姿では子供達に夢や勇気を与え、応援して下さっている人々への感謝の気持ち、そして活躍を共に喜んで頂きたいという選手達の熱い念いも伝わって来て、本当に胸が熱くなりました。
当音楽院でのピティナへの挑戦も現在では一段落し、落ち着きを取り戻しておりますが、今年もそれぞれが着実に成長した姿を見せてくれた事を、とても嬉しく感じています。
各自が目標としていた成果を残せたかどうかについてはそれぞれでしょうし、微妙な所もあるかもしれませんが、その中でも当音楽院の幼児音感教室の卒業生達4名が、初体験のA1級で全員が本選に進出した後、本選入賞を果たせた事は、まだ小さい級とは言え、今後が楽しみな明るいニュースではありました。
さて、今日のテーマは「真の負けず嫌いとなる為に」となっています。それでは、その為に今私が大切だと思っている事を、いくつか述べてみたいと思います。
最初に述べたいのは凡事徹底です。当たり前の「基本動作」を徹底する事で、物事が自然にこなせるようになり、いざという時にパニックにならずに済むということです。
本番では誰もが緊張するものですが、演奏前に必要以上に硬くなったり、演奏中の思わぬ事態に対応できずに乱れてしまうのは、普段の「基本動作」の積み重ねへの信頼欠如から来る場合も多いのではないでしょうか。
具体的には、ハノン等の基礎練習やソルフェージュ等の訓練は、楽しかろうがそうでなかろうが、応用動作を確実で正確なものにしていく為の基本動作の部分なので、その重要さに対する認識は、練習を嫌がった生徒が仮に泣いたとしても、私は全くブレるつもりはありません。
ついでに言うならば、泣くこと自体は感受性が豊かである証拠でもあるので、全然問題ありませんが、大切な事は泣いても頑張れることです。(小さい時の卓球愛ちゃんみたいに。)良くないのは、泣いたら何もできずに終了というパターンで、これは負けず嫌いでもなんでもなく、ただの弱虫だと思われても仕方ありません。
次に、チャレンジ精神の大切さについて述べてみたいと思います。
チャレンジには失敗がつきものですが、それを恐れていては前に進む事が出来ません。失敗したという事は、逆に勇気を出してチャレンジしたという事でもあるのです。失敗しなかったという事は、チャレンジする勇気が無かったというだけの事もあるのです。この場合当然ながら、成功もないのです。
自称完全主義者は、準備が十分に整ってからチャレンジすればよいと考えがちですが、その準備は一体いつ整うのでしょうか。勝負の時が常に万全の時に訪れるとは限りません。勝負する事が怖くて、失敗を恐れるあまり決断を先延ばしにするというのであれば、それはただの臆病者だと思われても仕方ありません。
最後に一番重要な事として述べておきたい事は、機嫌良く頑張り続けることです。
チャレンジした結果、不都合な現実と向かい合わなくてはならない時もあります。その時には問題の中心がどこに在ったのかを振り返る冷静さが極めて大切ですが、失敗し躓いているのが生徒(子供)であったとしても、本当は指導者の能力不足で生徒が代わりに躓いている場合や、子供の上げ底された実力を勘違いし、間違ったプライドを持ってしまった親の代わりに子供が躓いている場合も、絶対にないとは言い切れないでしょう。
各々立場に違いはあっても、結果に有頂天にもならず、落ち込みすぎることもなく、まず自分自身の課題に常に思いを致し、他人のせいにせずに機嫌良く淡々と努力を重ねる事、そして変わらず応援し、又常に改善を重ね、将来が明るい事を信じて歩み続ける事、これが真の負けず嫌いになる為の最後の条件にして、最大の条件ではないかと、私は今強く感じております。
希望を失わず、夢を忘れずに凡事徹底、チャレンジ精神、そして機嫌良く、以上3つの徳目を常に心に留めながら、これからも共に頑張って行ければ幸いです。宜しくお願い致します。