2011.11.21
トピックスがたくさんあり、何から順次書いていこうか少し悩みますo(^笑^)o
今日は、私の意識を変えた実話を、書かせていただきます。(有名な話ですので、ご存知の方もいらっしゃるかと…)
1917年アメリカに生を受けたピートグレイさん。
【6歳の時】,事故で大怪我をします。
大リーガーになるのが夢だったピート少年は、父親に
「もう野球はできないよ。僕は大リーガーにはなれない」と言いました。父親は、
「何を言っているんだ。
やる気になればできないことはない。あきらめるな」と言ったそうです。
それからピートは、朝から夕方まで野球の練習をしました。
練習では、人より重くて長いバットを使いました。
涙ぐましい訓練を続けたピート。
打撃にもまして大変だったのは守備でした。
しかし、くる日もくる日も練習し
ピート・グレイはプロ野球に入る機会を求めてカナダに行きました。
しかし、ピートは、テストすら受けさせてもらえません。
24歳の時、ニューヨークに行き入団テストを受けにいきました。
しかし取り合ってくれません。
ある日、まわりが驚く発言をし、球団オーナーは、ピートの自信と必死な態度に負けて、テストだけは受けさせることにしました。そして、その時みごと合格できたのです。
1942年晴れてマイナーリーグのプロになることが出来ました。
その年、打率は3割8分1厘で【打率トップ】でした。その後も、3割3分3厘の打率と、
ホームラン5本、68盗塁という
輝かしい成績をあげ、【MVP】を獲得しました。
ピートがグラウンドに立つと、割れんばかりの拍手が毎回起こります。他の選手では起こらない歓声が湧きます……
それは、どうしてなのか?……
……
……
…
彼は、
右腕がない…
片腕の選手だから…………
六歳の時の事故で、彼は右腕をなくしてたんです。
片腕だから、誰も相手にしてくれなかったのです。
【野球は、片腕では無理!】みんなそう思っていたからです。
打撃にまして、大変だったのが
守備!という理由が、お分かりいただけたと思います。
彼のグローブは、手の出し入れをなめらかにするために、中の詰め物を抜き、革だけに等しいグローブだったそうです。
そのグローブで、ボールをキャッチしていた彼。
想像しただけでも、手がしびれてしまいそうですよね。
グローブは、まさに、汗と涙と血が染み込んでいたそうです。
そして、想像してみてください。ボールをキャッチした後、どうするか…
首でグローブを押さえ、手をぬき、そしてボールを投げる…
この作業を瞬時に熟す…
どれだけ努力されただろうか…
想像を絶するものがあります。
事故の後、お父さんが言った
「あきらめるな」の 言葉の奥には、
「右手は切断されても、
【夢と希望】まで切断させたくない」「障がいがあっても勇気と希望を失うな!」という思いがあったそうです。
これは、私の【心の糧】に、なっている実話の一つです。
何度、聞いても
何度、読んでも
涙が出ます。
内容を知っていても、今、また
このことを書いているだけで、私は涙を流しています。
こちらには文字数の関係で、省略して書かせていただきましたが、私がはじめて このお話を聞いた時は、しばらく立てませんでした。感動とか感激という言葉で
あらわせない衝撃もありました。
トピックス10で書かせていただきましたが、身体が弱く何も出来なかった私の意識を変えてくれた恩師がいます。その恩師の言葉とも重なります。
これらのことに出会い、私は、
あきらめないことが、夢や希望に繋がると思うように なりました。
私が心の糧にしている実話が、あと一つありますが、また次回に…