2015.08.17
お盆休みも おわりです。
今年のお盆休みは 気持ち
ゆったり過ごさせてもらいました。
家族みんなで、母のお墓参りにも行きました。
近くの南大阪にあるので(遠いという人もいますが 下の道で30分弱、我が家からすぐそこの南阪奈道に乗れば 南大阪は五分なのでかなり近い)
お墓は、五分ではなく40分かかりますが、母と話がしたくなると車を走らせますし、なにかと大阪に出向くので、南阪奈に乗らなくても
週3日 竹内峠を走ることがあるほど、我が家にとっては身近な場所^^;
南大阪は、今住んでいる奈良より、とてもとても のどかな場所で 、私にとっては、落ち着ける所でもあります。
ひろーいひろーい ひろ〜〜〜い
田畑に囲まれた高台にある母のお墓は、見晴らしもバツグンなのです。(右上写真)
母が亡くなって10年以上経っても「お母さん・・」
と話かけようとすると毎回毎回涙がとまらない
という状態が続いてました。
それが 数年前から減りました。長かったです。(気持ちお察しいただけましたら幸いです)
一番の理解者であり
一番支えてくれた母
息子としゃべらせてあげたかった
息子の成長を見せてあげたかった
お母さんのことをもっともっと聞いておけば良かった
もっといろんなところに行きたかったのでは?
などなど 思ってしまうんです。
母は30代から寝たきりで、40代で他界してしまうという あまりにも若すぎたので。。。
母は 30年前に倒れ、18年前の8月末に40代で他界しました。
30年前の8月に 子宮筋腫になり子宮筋腫の手術から退院して すぐに、脳腫瘍で倒れてしまい
それから10年も闘病生活を送りました。
18年前のお盆 亡くなる前に、意識のなかった母が 最後に発した「ぁあ″ー」という猛烈な声を思い出します。
亡くなる二週間前のお盆に、みんなが ベッドのまわりに集まってくれた時、意識のない母が
「ぁあ″ー」となんともいえない声をあげたんです。ビックリしました。腰をぬかすほどビックリしました。今も鮮明に覚えています。
後で 皆が こう言ってくれました。「意識はなかったけど、お母さんは皆が集まってくれたのを分かってたんやな…ありがとう…て言ってたんやろうな」て。。
母が亡くなった後、不思議な事がいくつかありました。その一つが石碑
納骨をすませた後 しばらくして墓地敷地内の皆が手を合わせに行くある場所に、まぁるい まぁるい石碑が建てられました。その石碑には、
『念ずれば叶う』と彫られていました。
その時、身体に電流が走ったかのように驚いたことはハッキリ覚えています。
何をやってもビリな私、何も出来ない私に、母が教えてくれていたことだったから。。。
この石碑は偶然?
私は、母からのメッセージに聞こえてならないのです・・・
30年前 母が倒れてから➡︎介護➡︎息子仮死出産➡︎障がい➡︎母の死➡︎
母の死から 一週間後➡︎主人が事故で働けなくなり
母の死だけでも どうにも出来ない気持ちを抑えるのが必死な時に、歩けない主人を抱え、
歩けないし言葉も発せない息子を抱え、生活のために仕事を4つ かけもちして働き、でも‥‥‥で、人生は地獄だと思ったほどでした。
その後も 語れないほど辛く苦しくもがいた時期が続き、トンネル期が 通算 何十年あったか わかりません。
どうしようもない時、もう無理!死にそう!
て いう時、石碑に手をあわせに行ってました。
そして
【念ずれば叶う】
という文字を頭に焼き付けていました。
(文字数オーバーになるため次回に続きます)