2015.07.12
(前回の続き)
プラスチック系のものでなく
基本は、木とトタン板?とペンキの看板
それなのに、色あせもありません。
これにはビックリです。
野ざらしなのに 色あせない!!なんて。。
この看板を作られた業者さをも分かりませんが、ペンキも含め、素晴らしい技術で作られたものだと思いました。
この看板のように これからも、いろんな意味で
風が吹いても、雨が降っても
色あせない指導が出来るよう
教室 30周年以降も
歩んでいきたいと思っています。(*^^*)
ゆっくりゆっくりと。
(チャッチャッと熟せないので^^;
一つひとつに時間がかかるんです^^;)
よくお話する生徒さんは ご存知のように、
私のあだ名はノロマなブタでした。
よく からかわれました。
いつも泣いてる子供でした。
まぁ、いじめられっ子ですね
あは^^;
何事も人の3倍4倍は時間がかかるし、ほんとに鈍臭いので^^;
何をしても、クラスで一番遅い子でした。
低学年は 通院ばかりで学校に行けてなかったので、そのことも影響していたと思いますが(>人<;)
だから、 時間は かかるから そのかわり?
【耐え続け やり続ける】
ということを覚えました。
そのおかげで、なんの自信もなかった私ですが
【努力と忍耐、逃げ出さない】
ということだけは
自信が持てるようになりました。
(まぁ、こんなことも言える私じゃなかったんですが^^;
コーチングと心理学で より良くなることを学べたので)
あの時、(当時の先生がお辞めになると聞いた時) 高3になるし、受験勉強は本格的になるし、これはピアノを辞める時期なんだわ!と思いました。
しかし、ある先生が こうおっしゃいました。(音楽と無関係の先生)
『ピアノをやめるほうが成績が伸び悩み 目指す大学への道は なくなると思う。
ピアノをやめないほうが君が視野に入れてる国公立にも行けると思う。』と。
え?受験勉強一本に絞るほうが成績下がるの?
普通の大学に行きにくくなるの?なんで?
と、当時の私には 正直意味は分かってませんでした。(今はハッキリ分かる)
それから 不思議なことが重なりました。
不思議な出会いが重なりました。
その方達のつながりから
100% 200% 300% 視野になかった大阪音大を目指すことになったわけでした。
人生 ほんとに不思議なものです。
出会いで 進むべき道が変わるのですから(*^^*)
それから過酷なスケジュールがはじまりました。
音大受験‥‥ピアノだけ弾けたら音大に行ける!なんてものではないので(一般の方は よくそう思われてますが^^;)
ピアノ、声楽、ソルフェージュ、音楽理論、聴音、英語と国語対策 などなど をそれぞれ習いに行くことに。
私は数学が得意で、英語と国語は大嫌いだったので、点数をかせげる数学が 入試にないことも辛く、
ピアノは 出来るけど、理論と聴音は特化して習った経験なんてなかったので、苦しいなんてもんじゃない(>人<;)
ピアノは神戸方面まで習いに行き、
声楽は大阪の枚方からまだバスに乗る所
(どちらも二時間は 軽くかかる)
ソルフェージュと音楽理論は大阪市内、
その市内の先生のお宅で、英語は別の先生が来られて家庭教師をしていただき
聴音は大阪宝塚山まで通いました。
ピアノと声楽の教授に レッスン受ける前には 、別の先生のOKが出てからでないと教授に失礼になるので、
教授のレッスンに行かせてもらう前に、見ていただく先生のレッスンは、
大阪東住吉まで 週三回通いました。
その他にも、必要に応じて 複数のレッスンに通わねばならぬところもあり、
毎日、心がズタズタになるような厳しい言葉 を受け、好きだから やれているとか
もう そんなレベルの話でなく、ふんばるしかありませんでした。
何を言われても 耐えて耐えて 逃げ出さない
何があっても続けて続けて やり続ける精神がなかったら、音大受験なんて途中で あきらめてました。( ;´Д`)
(ちなみに今の入学の仕方は、当時とは全く違うようです)
この忍耐力、亡母のおかげ。。母が背中で教えてくれました。
母は 私が やらなくても
感情むき出しに怒らず、
自分が耐えて、続けることの大切さを伝える子育てをしてくれました。
(母の姿から学べた
続く