2015.07.05
(前回より続いています)
今 5歳の子供さんがいるお母さん、想像してください。15年後、子供さんは成人してます。
どんな大人に成長されているでしょうか?
才能開発してあげて 生きづらさが減る生活が出来ているでしょうか?
日々の取り組みで結果が変わること、意識改革で どれだけのことが変わるか、
東大 異才発掘プロジェクトのような取り組みが増えること 嬉しく思っています。
一人でも多くの子供達を伸ばしてあげたいと同じ気持ちの人は たくさんいます。
しかし、子供には親がいて家庭がある‥
他人が入りこめない‥
子供は選択できる余地はなく
親の選択で道は決まっていく
人の考えは 人それぞれだし、○して下さい!なんて、なかなか言えない時代でもある
お節介と 捉える人も増えたし、
伸びてしまったら待遇が変わるから
子供を伸ばしたくない
という親御さん達もいらっしゃるので(たまに出会う)
子供さんを伸ばしたい方だけ• • • • • •
となってしまう。
伸びる とか 可能性という表現を、子供の成長なのに占いのように 、信じる?信じない?
ほんと?うそ?
で考えてしまう思考癖の人がいる。
白黒つけたがる人に多いのですが、子供の可能性を引き出せない方の共通点です。←有名な話
10年以上後、後悔されないことを祈るしか。。。
事実を知っていても「自分が信じたくない!」と話、子供のために!でなく、自分が気に入らないから!と
『自分』の気持ちが一番!子供の未来より自分の気持ち優先!となる人がたくさんいることも見てきました。
考え方は人それぞれ自由ですが、伸ばせなかった人達が、伸びた人を妬み悪く言うのは
いかがなものかと思う。
反対するなら、他の方法で伸ばす道を提示するのが道理ではないか?
スキルもなく 結果も出さず 反対するだけなら 誰にでも出来る
矛盾点に気付いてほしい
子供ちゃんのために
と、生徒さんや仲間達と 語っていたら
NHKで 「障害について バッシング」という内容が放送された。
以下、放送内容の言葉↓
福祉というのは「薄く広く平等に」というのが原則なんです。
どこまで行っても原則はありましてね。
そこから逸脱するものに関してはやっぱり非難の声が上がってくるとは思います。
ただ、今こういう取り組みがね大事なんですよ。
例えば、質問なんですけど
バッシングする人たちにとっては何を恐れてのバッシングなんでしょうかね?
横並びじゃなければいけないというのはどうなんでしょう。
福祉はね「上からあてがわれるもの」と思われていると思います。
あてがわれるものは平等であるべき。それが前提にあるからバッシングにつながっていく?そう思います。
あてがわれたもの以上のものを自助努力でやろうと民間活力でやっていこうとしても。。。
給付金や生活のための補助というベースのところは そろえておいて、平等であるべきところは もちろん必要ですが、
「能力のある人は更に上がりましょう」と、
この視点が、障害のあるお子さんの教育には
もっとあってしかるべきだなと思います。
障害問題というのは社会のさまざまな問題を拡大して映し出すような拡大鏡のようなもの。
どうしたら障害者の皆さんが輝けるかという問題を考える事は
ある意味、我々みんながどうしたら輝けるかという問題を考える事でもあると思う。
やっぱりやりたい事やるっていうのは人間誰もが持つ欲求ですから、
能力ある人には どんどん上がってもらう。
そこを【抑制】する必要はないなとは思いますね。
〜 〜 〜 〜 〜 〜
まぁ、すごい反響でした。
先生の過去の記事 そのまま!
過去の記事 思い出しました!
と。
ピアノ教室に通うといえば反対されて、無理させたらあかん
○を習うといえば 反対されて、無理させたらあかん
塾に通うといえば反対されて、無理させたらあかん
と、能力あるかもしれないのに全否定から始まる•••
無理?!そう言われたらそうかも?可哀想かも?と普通のお母さんは なってしまう。
私は ある意味、反対されることをやりましたが^^;(母の介護で裏事情や真実を知ってたから)
上記の内容
逸脱、非難、バッシング、
などなど、一言一言に大きくうなづきました。
(文字数オーバーのため、続く)