2011.08.28
亡母は私にとって大きな存在でした。一番の理解者でもあり、母の言葉がなかったら 色んな事情で音大は断念していたかもしれません。
音楽療法に気付かせてくれたのも亡母・・・
母には感謝してもしきれないほど、あふれる思いがあります。
その母が亡くなって14年目の今日…
時々「お母さん~、あのね…」と話がしたくなり、お母様がご健在の方を羨ましいなぁと思うことも正直あります。
大阪音大入学後、哲学の授業に感銘を受け、音楽を学ぶ上で 哲学や心理学(特に、発達心理、児童心理)の必要性に気付き、もっともっと学びたい♪と思った矢先、母が脳腫瘍で倒れ生活は一変しました。
デイサービス等ない時代の介護の大変さは、言葉であらわせないほどでした。
様々な問題も出てきて、「このまま 私は学生でよいのだろうか?」と悩みました。音大に通い続けるのは無理だろう という思いと、一日12時間以上受験勉強をして入学出来た憧れの音大を、やめたくないという気持が葛藤しました。
そんなある日、寝たきりでほとんど話も出来ない母が、震える声を絞り出すかのように
「オンダイ ヤメタラ アカン
アンナニ ドリョクシテ ハイッタンヤカラ
ヤメタラ 、オカアサン ガ クヤム。シンデモ、シニキレン」と言いました。
母は、なにかを感じていたのかもしれません。
私は色んな思いで涙がとまりませんでした。
学費のこともあり、続けることは親不孝になると考えていた私でしたが、やめるほうが親不孝かも?と思い始め、母の言葉を胸にしばらく良く考えました。
そして、悩み悩み悩み抜いた結果 「続ける。そして母の気持ちに応える」と選択しました。
そして学生生活を続けさせてもらえることに感謝しながら、学校・レッスン・介護・家事と毎日を精一杯過ごしました。
母の介護をするうちに、母の病気がきっかけで脳に興味を持ち 脳科学も学び始めたので、これも母のおかげです。
意識のない時期の母が、ある曲で意識を取り戻すという不思議な体験をしました。その時の驚きは,一生涯忘れないと思います。
ある曲とは、私が毎日毎日弾きこんでいた入試の曲です。(この時の詳しい事はトピックス43に書かせていただきました)
看護師さんから「たまにこんなことがある」と聞き、音楽療法への気持ちも大きくなったわけです。
当時、音楽療法という言葉はまだほとんど使われていませんでしたが、音楽の持つ力を実感しました♪母が気付かせてくれて、教えてくれたのだと思いました♪
もし、今、母が生きていたら、どんな会話ができるだろう・・・ な~んて考えたりします。
天国の母へ
「お か あ さ ん 、あ り が と う」