2015.04.09
音楽と仏教 深い関係があります。
昨日8日は、お釈迦さまの誕生日でした。
各地で 花まつりがありました。
4月8日前後になると、あちらこちのお寺で行われる花まつりは、お釈迦さまの誕生日祝いです。
仏教系の幼稚園や学校でも行われることが多い行事ですので、
「そういえば昔やったことあるかも」と思い出す方もいらっしゃるのでは?!
私の母校も、大阪天王寺区の四天王寺ですので、いろいろありました。
当時、自分は十代ですし、特に仏教に興味があるわけでもなく^^; 環境が、四天王寺の寺の中にある学校ですから
なんとなく‥‥一つひとつ体験させてもらい、知っていったという感じですが、
祖母が 事あるごとに
「ありがたい学校やなー。ありがたいと思わなあかんで。そんなん なかなか教えてもらえること違うし」
と言っていたのですが、当時はあまり意味も分かっていませんでした。
歳を重ねて、30歳を過ぎ 数年してから転機があり、世界観が広がったと同時に
たくさんの人と出会う中で、四天王寺という環境で 自然に身についていたことがあったと気付き、有難かったと実感しました。(気付くのがオソイ^^;)
徳の高い方々が集まる国際心理学のような場では、私は スタートの時点で完全に落ちこぼれでしたが、
四天王寺で自然に身についていたこと 知り得たことがあったので、救われた瞬間が何度もありました。
(般若心経を唱えたり語ったりなどについては出来るので(四天王寺時代に毎日やるので^^;)そのおかげで哲学的な話に入れた)
仏教は法鏡である、とお釈迦様がおっしゃったと習いました。
法鏡とは?
法とは 今の言葉で『真実』
鏡とは、映して見せるもの
ですから、法鏡とは、真実を映す鏡。つまり、「あなたの本当の姿は、こういうものですよ」と学べるのが仏教。
ありのまま
という言葉がよく使われます。
私達は、様々な思い込みや色眼鏡で世界を観ています。過去の経験や体験で判断してしまいがちなので、主観的にものごとを観ます。
そのため主観と客観の明確な区別ができません。
自分の思っている姿が本当の自分でなかったり、思い込んでるだけで、自分の本当の姿は分からない
というようなことや、法話を
きかせていただいたり し始めたころは まだまだ高校生でよく分かっていませんでした^^;
Aさん→幼いころの出来事がトラウマとなり 自分の意見が言えなくなり、いつも人の言う通りにしていた。いつしか その積み重ねで 自分は消極的だと思い込む。
Bさん→幼いころからハッキリ発言しても周りの人がみんな言う通りにしてくれたので、いつも自分の意見が言える人となる。その積み重ねで、自分は積極的だと思い込む。
ほかにも色々ありますが、
自分のことは自分が一番分かる
なんて言ってしまうことはありますが、実は そうではない?!
幼いころから 様々な経験をすることで、どんな人でも 一枚二枚とコートを着て、五枚六枚と重なり
古いコートは いつしかカタくなり鎧となり、脱ごうと思った時に脱げなくなっている
ありのままの姿なんて
見えなくなり出せなくなってしまっていくんです。
(自分を変えたい時に、変えたいと思うほど もがき苦しむのに ほとんどの人が変われないのは このため)
ありのままの自分って?!?
ありのままの自分を知るのは
本当は難しい
知ることすら難しいのですから、ありのままを さらけ出すなんて もっともっと難しい
人から良く見られたい
ほがらかに見せたい
優しい人に思われたい
綺麗に見せたい
など・・・
そんな気持ちは大なり小なりあるものだし
仏道を習うは自己を習うなり
仏法を聞けば、今まで気づかなかった自己が見えると教わりました。
鏡から離れていれば綺麗に見えたり、まんざらでもないと見える人も、近づいてみると
シワしみアザ 白髪、隠したいもの 隠していたものが見える
法鏡に近づくほど “わが身を知る”
自己の姿に気付く
飾り立てる、上っ面をごまかすのではなく、自分の知らないところにある真実の自己の姿を
教えてもらえます。
上辺で 体裁良く、自分を飾り立てて生きても、しんどくなるだけ^^;
シワ寄せが 後あと じんわりじんわり(・・;)
鎧を脱ぐのは時間がかかり、かなりしんどいですが、脱げたら、生きるのが楽になります。(*^^*)