2013.04.21
(今朝のトピックスの続きです)
今 大人の人、子どもの時に親はうるさいなぁと思ったことありませんか?
そして今、親として子どもにウルサイなぁと思われてませんか?
でもそれは、ウルサイと思われても子どもの為を思って言ってることではありませんか?
ありがた迷惑は、迷惑ではなく
その時の取る側の
立場 や 心 次第。
「おせっかい 有難迷惑」と「優しさ」について話し合いされる場合もよくあります。
世の中には、人の優しさを
お節介だ!有難迷惑だ!
と捉える人がいるそうです。
その反面、人のお節介を優しさだと感じられる人もいます。
ん〜〜私は後者でありたいかなぁ
*(^o^)/*
それは、
受けた側が、優しい気持ちや広い心を持っている人だったら
「あの人は私のことを気にかけて下さったんだぁ」
「有り難い事をしてもらえたなぁ」
と感じたり捉えたり出来る!と教わってきたから。。
逆に、受け取る側が歪曲していると、優しい人が優しさを与えてくれても、
「お節介だ、有難迷惑だ」となってしまうんだとか• • •
ようは、お節介をする方が悪いのではなくて、受ける側の問題であると教わりました。
私たちの感情や表象は、どのようにして生まれ、どのような環境で
どうなっていくのか?
人間の「感性」の変化について
危機感を危惧されてる今、
哲学・心理学・社会学・美学・文学など色んな観点から、
人間の「心の動き」を研究している人間学でも教わりました。
同じことをやっても言っても
相手次第^_^;
「ありがたい。おかげさまで
変われました」
「良薬は口に苦しを肝に命じるとほんとに良くなりました」
と人の話に耳を傾けられる人達、
有難迷惑など言わず、
やってもらった事、言ってもらった事から
何かに気付き、自分で人生を拓いていく方もたくさんいらっしゃいます。
私も、そう受け取れる人でありたいなぁ〜〜と思っています。