2017.05.09
(よしもと新喜劇と私 ^^
写真は、前回に掲載)
今回トピックスは、
前回❷GW無料レッスン&家族&○○の続きです↓
ある年齢から 生活が大変になり
全く芸能系活動しなかった期間は 芸能関係に疎遠になり、自分史の中のトンネル期でした。
息子が幼稚園の時に、幼稚園で たまたま同級生と再会したのですが、その同級生は私をよく知ってる子でした。
そして、その同級生に「トンネル期だから活動できなかった!と言うより、
反対に、芸能関係活動してないから あなたのエネルギーがなくて
不運を引き寄せて、不幸が重なってるんじゃない? ものすごく どんよりした顔してるで」
と言われました。
そりゃあ、親の介護に 息子の仮死からの障害、 働けない主人の介護に 生活費のための
かけもち仕事に内職などなど
やつれていて当然みたいな生活だったし~_~;
そして、友人に 強引に?^_^;コンサートに誘われ 十数年ぶりに行ったところ 涙がとまらず 、コンサート後 失神して立てないほど
・・・・
感動を通り越した気持ちになり
『生きてる実感』が湧き
『やっぱり コレは 私にとって生きる力なんや』
と 分かったわけでした。
しかし、当時は 主人の理解もなく、また私自身も 息子が成人するまでは封印したほうが良いのでは
と いう気持ちもあり
・・・・・
しかし しかし
あの なんともいえない中から湧き出る活力
自分が生き返ったような気持ちは
私には生きる上で必要だから!!と感じる心もあり・・・
葛藤 葛藤 葛藤が続き、あるとき
あることがあり、
やはり芸能系活動を封印しよう!と決めた時に、
呼吸が苦しくなるほど しんどくなり
涙がとまらなくなり、苦しんだ日があったのですが、
泣き崩れてたその日、
亡母が枕元に 立ったんです。
はっきり枕元に立ってくれたのは
母が亡くなってから はじめての
ことでした。
そして 言ってくれた言葉が
「⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎」でした。
私がしゃべろうとしたら
スーと 消えました・・亡母が・・
その言葉にハッとしました。
そういえば 高校生になって 家でもアイドルに夢中になってる姿を見て 母は
「えっちゃんは この時だけスゴイな。元気やな。学校では友達も作れないのに芸能現場は行くたびに 何十人も友達作ってきて、
しかも全国に仲間が出来て、マネージャーまで知り合いになって スケジュール教えてもらえるまでに なって、、、芸能関係大人の知り合いも 作ってくるし
ほんま不思議やわ。
でも、とにかく えっちゃんが 明るく元気になれるのが これやもんな(^○^)」
と、昔 よく 言ってくれてたんです。
枕元に立った母の言葉と
母が健在だった時の言葉が
重なったわけでした。
枕元に立った母は、
最後に『いろいろあって疲れすぎてるから心配しててんけど
再活動してから元気になって安心しててんで。
せやのに、また やめるん?
好きなものは好きでいいやん。
行きや〜行きや〜』
と 言って消えたのでした。
あまりに 摩訶不思議な出来事に、しばらく放心状態になりましたが、
それから コンサート行くたびに
奇跡のようなことが重なります。
皆さんご存知の私の大好きな
J関係は いつも 最前列。
チケットが取れなくて有名なJでも最前列。
2列目 3列目の時は
サインボールや サインや
投げた物が自分に飛んでくる^_^;
ぜんぶ 亡母の力だと信じてます^_^;
まだ不思議なことはあり、
20年 連絡が取れなかった昔仲間が突然 あらわれ、
「あなたのお母さんが夢に出てきた!またコンサート一緒に行ったって」て言われたと、
実家の住所をたよりに来てくれて・・
「夢に出てきた えっちゃんのお母さんが
こんな服で こんなスカートを履いていて」と
昔友達が言うのですが、
その服装!(◎_◎;)!!!
あまりの驚きに!(◎_◎;)
友人に 亡母のタンスをあけて
「今 言ってた服装 これ違う?」
と震えながら私が聞くと
友人も 腰を抜かしました。
タンスにある服が、そのまま
だったから・・・
実は、