2016.11.04
2日のトピックスの続きです。
そして、昨日の内容のこともあり、リクエストを含んだ内容ですので、いつも読んで下さっている方には重複する内容となります。
仮死で生まれた息子、リハセンに通う日々、
それだけでも精神的には 一杯 いっぱい(;_;)
と いうのが本音でしたが、
寝たきりの母の介護も・・・
母が39歳で倒れてから10年 介護、
そして母が亡くなってから
父が若くして認知症など諸々・・・
そして主人が
働けなくなったり・・・
介護だけでなく
生活するための 現実的な家計の問題・・・
その他 諸々‥
正直、これ以上の苦しみは ないんじゃないかと思うほどの
ひたすら苦しいだけの時期が 何年も何年も
長く続きました。
母のこと、父のこと、主人のことは、ある意味 お医者さんに希望を託すしかないと思いましたが、
息子のことは
自分が なんとかしなければ!
なんとかする!と諦めませんでした。
諦めたら 終わりだから!!
それは まさに ピアノを続けたことで体験しましたから。
‥‥今となっては 母のリハビリも 疑問が残り
私がもっと当時、知識や実体験で 知り得てることが沢山あったなら
他のことをやってあげることが出来て、母も物をつかんだり 、手や足を動かせたようになったのでは??
と思ってしまうので
母を助けてあげられなかった気持ちに襲われるときもありますが‥‥
【母の死を無駄にしない】
仮死で生まれた息子
私も死にかけだったお産
少し何かが違えば二人とも 今は この世に
いない・・・
『死』と いうものを強く実感しているからこそ
『生きる』『生かされている』を
強く意識する人生になりました。
生きてることは
当たり前のことでは ありません。
私たち親子は、二人とも死んでいたかもしれなかったので、
『生かされている』という感謝の気持ちで生きています。
今の私だけしか知らない方には
心が強い人と思われるようで
「私は Sさんのようには出来ません」
「Sさんのように強くありません」
と おっしゃる方とも多く出会うのですが、
当時 私は
頼れる親も 頼れる相談場もなく、
自分の体の弱さ 病と闘いながら
年中 検査や治療で病院通いしながら
毎日
だれか たすけて〜〜〜と
悲鳴をあげてました。
何年も何年も経ってから
ほんとにもう限界がきて
どこに行けば良いのかも わからず、気付けば○○○に行ってました。
来る日も来る日も 門前払いのような対応〔今は逆に制度があるから擁護してもらえるけど、当時は‥‥〕
叫びたくて気が狂いそうでした。
だけど、
そんな毎日だからと言って
私が やらないと誰がやる?
誰もやってくれない。
息子は私の子供
生きてくれた私の息子
私がやらなければ
【誰が息子を伸ばす?】
と思っただけです。
その思いだけで必死だった だけです。
息子を伸ばしたい一心
その思いだけでした。
強かったわけでは ありません。
何年も何年も泣き崩れてました。
ただ、
諦めない気持ちと
母の死を無駄にしたくなかった気持ちと
母が命をかけて教えてくれたリハビリの矛盾
そして、我が子の可能性を広げたいと
並々ならぬ気持ちがあり、
日々 取り組むことへの工夫や言動に
繋がったのだと思います。
泣き崩れてたんですよ。
わたしも
昔は‥‥
今の時代のように「お母さんは悪くないよ。お母さんのせいじゃないよ」なんて
優しい言葉をかけてもらえる風潮もなく、子供のデイサービスもなければ
親のデイサービスも ない時代
死ぬか生きるかの 瀬戸際のような気持ちの毎日でした。
でも、せっかく生かされた命
それを人一倍 体験したから
死ぬか生きるかの瀬戸際生活でも、自ら ○○することは考えませんでした。
ピアノの生徒さんと
息子がいてくれた おかげでもあります。
だから生きることが出来ました!!
与えられた人生の使命として
受け入れることが出来てから 少しずつ前に進めるようになりました。
つづく